この国のかたち

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この国のかたち

この国は大きく分けて北海、北都、東都、西都、王都、南都、西州の大小の島で構成され、いかにも昇り龍のような雄姿を見せている。 国名を和国(わのこく)と言う。 国は国業布人と言う制度の元で、 16歳までは何をして暮らしてもいい。 学所は幼・少・中・高・専と分かれていて何処に入るのも自由なのだが、 卒所鑑定をそれぞれ7日間受けて内容を満たせば卒所となる。 しかし特に専学所を出るのは至難の業で、 誰も卒所出来なかった年も度々ある。 16歳から各都民が支役になり議人、防人、裁人、祭人、動人、教人、救人、物人、造人など好きな支役で1年間学ぶ。 支役にはいかなる貴賤(きせん)はなく全て平等だ。 給金も勤続年数による加算制なのでいつまでも支役を渡り歩いている訳にはいかない。 その支役を5年以上続けている者の合議により新入者の延長か次の支役に回るかが決められる。 そうして殆どの者達は多くの支役を経験して国の成り立ちを実地で学んで行く。 国の法、判断、作成、実施など人裁きに繋がるものは国民に開示され 秘匿行為は罰の対象となる。 これは1,500年前から続く国の仕組みなのだが、それ以前の国は賄賂、犯罪、差別と不平等、富が富を生む不労所得の仕組みなど国を司る者達の不正や権力主義の蔓延で国の和は崩壊していた。 そんな時に北海の沖にある火山島が数年もの間、噴煙を上げ始め収まらなかった。 その内に至る所の山が噴煙を上げ始め、国は闇に覆われ気温は下がり農作物や家畜も死滅した。 さらに乾燥による疫病が流行り病死、餓死、凍死者で死屍累々(ししるいるい)の有様でこの国は滅亡の危機に瀕した。 王都に住む帝のもとに東都より多くの権力者が懇願に訪れたのだが、今までお飾りとしてなおざりにされて来ただけに会おうとはしなかった。 しかしこの賢明な帝は王都に残る不開書にあった天尋行苦を知り、これしかこの国難を回避する術はないと命を賭けた。 そして見事に滅亡を防ぎ令武王として王権を復活させた。 しかしカガリの犠牲がこの国に広まる事はなかった。 令武王は国業布人の形態が整ったのを見てこれを国是として発布した。 その50年後に国権民譲(こっけんみんじょう)を行い全ての権力を国民に移譲し、国名を和国(わのこく)とした。 トウヤ達の時代には色々な呼び名は変化し、文明の進化に伴い法も改正を繰り返して来たが、基本理念は国業布人制度に基づいた生活を送っている。 ナガテは10歳で高学所に入り15歳で卒所した。 芸能関係にも興味があり高学所入所と同時に子役芸能養成所に入った。 そこで1歳下の嶋崎と出会い親交を深めた。 大仙和歌子社長とも知り合い6年間事ある毎に契約を薦められた。 すぐに専学所に入り21歳で卒所した。 ここを出れば国を司る議員、検事、弁護士、国防軍の軍令少尉などいわゆるエリートと呼ばれる仕事に就くことが可能なのだ。 その頃は芸能活動も順調で歌番組、ドラマ、映画など様々な仕事をこなすようになっていたが周囲は専学卒所の有望な希少価値を勧める意見が多かった。 しかし変わり者で偏屈でわがままなナガテは16歳で契約していたシオン芸能プロのタレントを続ける事にした。 シオンと契約する際に嶋崎も一緒に入る事を条件とした。 嶋崎は歌も演技も踊りもナガテより全然イケるのだが、中々仕事が来なくて悩んだ。 その内に事務所を辞めると言い出したが、ナガテが説得してマネージャーになりそれから不思議とナガテの人気が上がって行った。 ナガテは人それぞれに持つ物があるのだなと思った。 そしてあの島でカガリと出会った。
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