カガリの伝説

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カガリの伝説

ナガテはジャムトースト2枚にツナ缶目玉焼きと薄めのインスタントコーヒーで朝食を済ませた。 普段の休日だったら絶対に起きないのだが、今朝はいきなり電気が通ったロボットみたく跳ね起きた。 水筒に氷を入れてリュックのサイドポケットに挿した。 カメラをぶら下げ帽子をかぶり登山靴を履き出発した。 玄関から細いあぜ道を少し登ると広い駐車場に出る。 そこから頂きに続くであろう細い山道を歩き出した。 思ったよりはかなりかかりそうだ。途中、水筒の冷えた水を飲んで休憩した。 下の海岸線は見えない。漁港に向かってメサの稜線が走っている。 美しい眺めだ。 それからまた歩き出した。 暫く行くと海が見渡せる開けた平地に出た。 均等に並んだ平たい石の先に祠があった。 まわりの草木は綺麗に刈られていて手入れしてある。 1メートル位の立派な石を左右に従え上には板状の巨石が乗せてあった。 その中には石を削り出した様な塊が置いてあった。 何だろうとその塊をよく見ると風化した石仏に見えた。 とその時、背後から。 「何してるのさ!」 と声がした。 気を抜いてるところに突然過ぎて、猫のように身体が飛んだ。 「ビ、ビックリさせないで下さいよ!」とナガテは思わず叫んだ。 「ビックリしてんのはこっちの方さ。神さんをそんな風に覗き込むとは。 ならねえ。ならねえ。と老婆は言った。」 白髪交じりであっても背筋はピンと伸び顔は結構美しかった。 「すみません」 とつい素直に、言ったあと恥ずかしくなって水平線に目を向けた。 「お参りに来たわけじゃないだろ。 この辺のもんじゃなさそうだし。 ん、どこから来たんだ。」 と聞いてきた。 ナガテは面倒くさいなあと思いつつも「本島の東都です。」と言った。 「ああ~東都かい。じゃぁシッカリお参りしとかんとなあ。 ここの神さんが守って下さっているからの。」 と老婆は目を細めて言った。 「どういう意味ですか?東都を守っているとは?」 とナガテは聞いてしまった。 興味もないのになぜ訊ねた、と後悔した。 「その昔の昔、本島で疫病が流行って多くの人間の魂を奪った。 そしてその疫病を運んで来たのが、この海向こうにある島の噴火で舞い上がった噴煙に混ざった毒のせいだ。と言う事になった。 確かに噴煙は物凄く何ヶ月も続きこの地も暗闇に覆われ他の島々も闇夜の様になり多くの人の魂を奪って行ったそうな。」 「……つまらないならやめるがどうする?」と老婆は言った。 「いえ、お願いします。」 とナガテは言った。 「そこで東都の王は天尋行苦をした。 所謂、一切の食を断ち欲を捨て天からの導きを得る事じゃ。 これを始めたら途中では決して止められん。止めれば首を落として天に詫びる。 天からの導きがないまま生き仏となる事もある。 どちらにしても命をかけてやらなければならなかった。 昔の治者はそう言う潔さや心根で民の前に立っていた。 だから神の使徒としてみなから大事にもされ尊敬もされた。 その王は息が途絶えようとした時、お導きが下りた。 北海のヒライの地におる16の娘の生きた赤子をその島に流せと。 早速、役人や将達はこの地に来て探し回った。 しかしそう言う赤子は1人もおらんかった。 それでも王が一命をかけて頂いたお導きに偽りはないと10代の娘を集めて尋問を始めた。 そうして見つけ出した。 月招きが止まった16の娘を。 月招き、分かるか?そう女に訪れる月の物よ。 生まれてはないが腹には赤子がおるという事じゃ。 その娘をお流し者として役人どもは手配した。」 「チョット待って下さい。 その娘には生理がまだ来ていなかったかも知れませんよね!」 とナガテは自分の娘の事のように怒りながら言った。 「ああ、それはわからん。大昔の言い伝えじゃからの。 ただその娘は月下帯を持っておったそうじゃ。」 月下帯って…、ナガテは何となく分かった。 「そ、そんなバカな事ってありますか! それって人柱、生贄みたいな事でしょう。 ありえませんよね。絶対にありえない。」 「そうじゃな、ありえないがありえたのじゃ。 その娘は縄できつく縛られ白布で幾重にも巻れた挙げ句、 赤く噴煙の上がるあの島の近くまで船を漕ぎだして沈められた。 その翌日、赤く吹き出していた溶岩は止まり噴煙も鎮まりこの世を覆っていた闇も次第と晴れ、陽の息吹が始まった。 本島の役人や将は我が物顔で帰って行った。 それから随分と経ってその島の頂に雪が積もり始めて、ちょうどその娘が巻かれた様な格好になった。暫くはその娘の祟として恐れられたが、それから雪が消える事なく万年雪に覆われている。いつの頃からか雪帽子島と呼ばれるようになった。 流されたその娘の両親や親者は魂を慰めようとここに祠を立てた。 最初は小さな祠だったが、海が荒れて幾日も漁に出れなくなるとここに来て祈りを捧げると海も収まったそうじゃ。それでいつからかこの地の人々が寄り合ってこの祠を神社として祀った。 あの巨石も天地の力を知る者が石霊として岬の稜線で見つけ出したそうじゃ。 そしてキリストが我が十字架をゴルゴタの丘まで引摺り上げたように、 多くの村人が自分達でここまで運んだ。と言われておるの。 その娘の名が、カガリと言ったのでここはカガリの地。 と呼ばれカガリの杜として永く祀られておる。 まわりの平たい石は礎石でその上に柱を立てて櫓を作っていたと言われておる。今は見ての通りじゃ。私以外に手入れをする者はおらんでな。 カガリ様も寂しがっておられるじゃろうの。」 と言って老婆は手ぬぐいでズボンを払った。 ナガテは目頭が熱くなっていた。色んな土地で色んな悲しい逸話を聞いて来たがこれほど理不尽で寂しく悲しい逸話は初めてだった。 石造りのお供え台には、両端に小さな穴と真ん中に少し大きめの穴が彫ってある。その穴に水筒の水を入れて手を合わせた。 「あんた若い割には信仰深いのかね。」と微笑みながら老婆は言った。 「いえいえそんな事はないです。」 とナガテは頭をかいた。 老婆はお供え台の両端に草花を挿して何やらブツブツと呟いて山の方へ分け入って行った。 そっちからも行けるのかな、と思い老婆が行った方へ入りかけるとチョット先に一軒の小さな家が見えた。老婆はあそこに住んでいるのだと思った。 ナガテは聞いた話を最初から頭の中で再現しながら来た道を帰った。 折角なので稜線を歩いてみようと思い広い駐車場に出てそこを突っきて岬の方へ向かった。 岬への道は木々のない見晴らしのいい風景が広かっていた。 しかし、左側は断崖になっていた。何の柵もなく恐ろしい。 右からの突風が吹いたらと思うと余計足がすくんだ。 きっと心ならずとも落ちて命を落とした者は少なくはないだろうと思った。 足を止め、そっと断崖から海を覗き込むと波は穏やかで海底の岩や魚や海藻がしっかりと見えた。ただ海岸より沖へ数十メートル行くと突然海の色は紺碧に変わっていた。急激に海底が深海へと落ち込んでいるのが分かった。 出来るだけ右端を歩きながら背の低い草木が茂るゴツゴツとした岩の上を歩いた。岬に近づくと大きな木が海風にざわめいている。 木造りの古いベンチに腰掛け水を飲み休憩した。 上り坂を歩き出すとすぐに小さな白い灯台が見えて来た。 数段の階段を登ると錆び付いた錠前がかかった扉があった。 頑丈な手すりは灯台を取り囲こみ先端に回ると180度水平線が見渡せた。 11時の方向にしっかりと見つけた。 雪帽子島。島全体は見えないが頂きの白い雪が確かに帽子のように見えたし、白布で巻かれた芋虫のようなカガリにも見えた。 数枚の写真を撮った。 あの島へ行ってみたい。いや行かなければ。とナガテは強く思った。 性分だからしょうがない。もう居ても立ってもいられなくなり、階段を降りて小走りで坂を下った。 突き当りを右に行くとあの断崖に出る。しかし左奥にも細い道があったのでそっちへ行ってみた。 大きくカーブした小道を下って行くと道路に出た。ここはタクシーで通った所だった。確か近くに食堂があったのを思い出した。 早足で進むと反対側の広い駐車場の奥に店があるのを見つけた。 入口の扉を開けるとドアベルが鳴った。客が3人いてこっちを見た。 小綺麗にしたおばさんが水とメニューを持って来た。 ランチメニューの唐揚げ定食を注文した。 その時ついでに聞いてみた。 「あの島、雪帽子島へ行くにはどうしたらいいんでしょう?」 とナガテは言った。 「今は行けないね、船も出てないし。」とおばさんは言った。 「船しか行きようないですよね。」 とナガテが言うと。 「橋でも架かっている様に見えるかい。」 とおばさんが笑いながら答えると、 他の客もハハハと笑った。 「あの僕は真剣に聞いてるんです。」 とチョッと語気を強めて言い返した。 「何しに行くんだい?」 と一人の客が聞いて来た。 「ええカガリの事を調べたいんで。」 とナガテが言うと、 「カガリ様の何を調べるんだい。」 とまた聞いて来た。 「特別に何と言う事はないですが、伝説を聞いて気になって仕方ないんです。おまけにさっき島を見て一層気に掛かってしまったんです。 そのカガリ様の事が。」 「今船出す奴つぁいねえだろ。」 「ああいねぇけど龍男が明日漁に出ると言ってたから頼んでみたらエエ。寄ってもらえるかもしれんな。」 「そうなんですか!そのたつおさんって方はどちらに?」 と聞くと料理が運ばれて来た。出来立ての唐揚げはまだ油がはねていた。 「今あそこの島は何にもないし誰もいない。いるのは獣位よね。まだ残っているかしら、あの部落。もう朽ち果てているわねきっと。」 と昔を思い出す様に遠い目をしておばさんが言った。 「あの島には行かれた事があるんですか?」 「ええ、小さい頃はよく遊びに行ったわ。あの当時は人が沢山住んでたし親戚なんかもいたから夏休みになると休みの間あっちにいたわね。漁船も沢山あったし家畜なんかもいたわ。どの家にも鶏がいて朝からうるさかった。 でも私が小学校の3年か4年位の時に事件があってね。大変だった。 世界的に有名な登山家?冒険家?って言う人が遭難したの。あの火口まで登ってて。TVも来たし雑誌社の人も来たし取材は日本人だけじゃなかった。 救援隊とか捜索隊とか分かんないけど、大勢来たわ。」 「綺麗な人だった。遭難した人。その日の事よく覚えているの。 だって家に泊まってたからね。 朝一緒に食事だってしたわ。こうも言ってた、お昼は火口で食べて少し散策したら降りるって、だから夕食の準備もお願いしますって叔母さんに言ってたの。 私はマイコさんって呼んでたけど…」 「カガミ マイコ 29歳だった。」 って客の一人が言った。 「あ、そうそうカガミさんだった。」 お客さん、カガミさんの事知ってるの?」 「知ってるも何も、オイラのお袋さ。 ここのとこ、来てなかったんで久しぶりに訪ねて来たのさ。 ここも随分変わった。以前の賑わいはなくなったね。 お袋と一緒に山登った事は一度もなかった。 まだ一緒には連れていけなかったんだろうけどさ。 でもあそこの山に登りに行った時はよく覚えてるね。 おれに「今度登る山はカガリの伝説の島っていうの。 カガミにカガリって何だか良くない? 何か縁があるのかしら。」 って言ってたよ。 それでよく覚えてんのさ。 「そうなんですね。お気の毒でしたね。お母さん。」とナガテが言った。 「いやいや本望さ。本人はきっと。」 と言った。 「ところであんたどっかで見た事あるね。何だかTVとかで見た事あるような気がするけど。」 「ああ昔ちょっとTVとか出てましたね。 今は出てませんけど、TVには。」 「そうかい、そうだろう。何となく見た事ある顔だなって思ってたよ。 でも最近も見た事ある気がするな。」 と言って話は終わった。 ナガテはよかったと思い、さっきの話のたつおさんの事を聞いてみた。 「船小屋に住んでるよ。一人暮らしさ。 ちょっと変わり者だけど気はいいやつさ。自分はカガリ様の使いをしてるとか言ってさ。ハハハ」 と客の一人が笑いながら言った。 「ありがとうございます。これから訪ねてみます。 ちなみにその方は茶色い顔の漁師さんじゃないですよね。」 「ああ茶色いよ日に焼けて。髪はいつもボサボサさ。 分かってるんだったら話が早いってもんだ。」 ナガテは店を出て小走りで船小屋に向かった。 すぐに見つける事が出来た。船小屋の前で漁に使うらしい網を縫っていた。 「あの、すみません。たつおさんですか? 僕はトウヤって言います。」 「あ、昨日の。」 「はい、昨日防波堤でお会いしました。トウヤと言いますが、実はお願いがあって来ました。あの島まで連れて行ってくれませんか?」 と雪帽子島の方を指さした。 「ああ、昨日から待っておった。 あんただろうと思って。 やっぱカガリ様のおっしゃる通りじゃな。 うんうん。やはりな。」 あまり深く関わらない方がいいと思い、 「何時に伺えばいいでしょうか?」 とナガテが聞くと。 「7時出港に決まっておる。1分たりとも待たない。」ときっぱり言った。 「あとお名前はたつおさんでよろしいですか?」 「龍男に決まっておる。 金は2,000円に決まっておる。」 ときっぱり言った。 「じゃぁ宜しくお願いします。」 とナガテは言った。 バンガローに帰ると胸が高鳴った。 何だかこのためにここに来たような気がした。 インスタントコーヒーを飲みながら明日の支度を始めた。 水は?水の事を聞き忘れた。2,3日でも水は重要だ。 とりあえずペットボトル5本あるから全部収めた。 それにカメラ。テント、寝袋、帽子、下着の替え、カップ麺、チョコ、フリーズドライのご飯、スープ出来るだけ軽くて沢山の食料を詰めた。リュックははち切れんばかしになった。 それにカセットコンロ。これがなければどうにもならない。 それにいくらなんでも時計くらいは持って行こうと思った。 結局、リュックと手提げかばんでここに来た時よりも荷物が増えた。 中身を2回確認して寝床に入った。 すぐに眠りに落ちた。 夢を見た。 お下げ髪の女の子と手を繋いで歩いている。 その娘は 「どうして早く来てくれなかったの?」と聞いた。 答えに困って、 「知らなかったんだよ。ごめんね。」 と言うと、 「うそ。嘘つき。」 とその子は泣き出した。 「ほんと、ほんとだよ。」 その子を見ると 白い布に巻かれて紺碧の中へ包まれようとしていた。 「だめだ!だめだ!」 繋いだ手を引き上げようとしてもその子は徐々に青色に染まって行った。 そしてその子は長い髪の娘に変わっていた。 「君は誰?誰なの?」 と聞くと、もうほとんど青色に染まってしまったその娘は、 「カガリ、わたしはカガリ」 と言って青色の中に消えて行った。 はっ!として目覚めた。どこかで鶏が鳴いたような気がした。 あたりはまだ薄暗かったがナガテは飛び起きた。 時計を見ると6時20分過ぎていた。 急いで歯磨きして顔を洗いバンガローを出て走り出た。 リュックとかばんで腕がちぎれるかと思うくらいに痛かった。 防波堤に登ると、龍男さんが手を振って呼んでいた。 「もう時間がねえぞ~!」
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