雪帽子島

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雪帽子島

漁船の先端に座り息を整えながら船の縁を握った。 龍男さんが 「用意はええか。」 と聞いて来た。 ナガテは 「OKです。」 と答えた。 エンジンの音が大きくなり漁港に響き渡った。 防波堤の先端にある常夜灯が左手に見えて形を変えながら過ぎて行った。 外海に出ると波が高くなって来た。 船首で切れた波は白いアブクを作りながら後ろへ後ろへ流れて行った。 昨夜の夢の娘は確かにカガリと言った。 カガリはどこら辺で沈んで行ったのだろか... きっとキツく縛られて呼吸も上手く出来ないまま身体も動かす事も出来ず、 お腹に秘めた命と共に逝ってしまったのだろうか。 紺碧の色に染まりながら....... 波音を響かせ潮風の中を進むナガテの目に映る紺碧の海は、何も無かったかのよう懐に多くの命をたたえている。 徐々に雪帽子島に近づきその大きさと高さに圧倒されて来た。 まだ距離はありそうだが、奇妙な島影は徐々に全体像を明らかにしてくれた。まるで台地の上に雪を頂いた島を乗せている感じだ。 台地は海に向かって緩やかに傾斜している。 沢山の樹木が見え滝のような物も見えた。 波が高くなって来てしっかり捕まってないと振り落されそうだ。 堤防のような物が見えて来た。 龍男さんが、 「もうソロソロじゃから荷の準備をしなせえ。」 と言ったが揺れが激しく少し船酔いした感じがして動けずにいた。 彼はニヤニヤと笑みを浮かべていた。 そして手を合わせ何やら祈っている様だった。 所々が崩れてしまっている防波堤内に滑り込むと嘘のように揺れは収まった。海岸には木造の船着場が見えた。 漁船はエンジンの音を落とした。 正面には頂が余り見えない雪帽子島の全景がそびえていた。 船着き場に係留して荷物を降ろしながら 「お昼前には迎えに来るけ。今の時期ほとんど海は荒れないが万が一荒れてたらその日は諦めてくれよ。」 と龍男さんは確認するよう簡単に言った。 「この海岸から真っ直ぐ山の麓へ向かって行くと昔の部落がある。 そこの先には飲める水が湧き出しているから。」 と龍男さんは言いながら係留ロープを外し船に乗り込んだ。 エンジンの音が徐々に大きくなり船が離れて行く。 急に恐怖と心細さがナガテを襲った。 龍男さんは手を高々と上げ、ナガテは胸の高さで小さく手を振った。 リュックを担ぎ手持ちかばんを持ち上げると船着き場の板が軋む音がした。 まさか崩れないよな、と思いつつ慎重に海岸へ向かった。 野面積みの石垣に囲まれた石造りの広い階段を登ると木々が茂っていた。 細い獣道が麓まで続いているようだった。 昔はもっと広い道だったのかも知れない。背の高い木はなかった。 麓は樹木に覆われているので何があるのかは見当も付かなかったが、 部落跡があったという話を信じるしかなかった。 もし見つからなければテントを張ってしのぐしかないと思っていた。 もう随分と登って来ていた。 後ろを振り返ると船着き場や防波堤や海岸がジオラマみたく見えた。 昼前なのに陽の光がジリジリした。 その内に高い木々に囲まれて日陰が増えて来た。 その時左手に朽ちかけた小屋があった。 よく見るとその両隣にも草木に覆われた小屋を見つけた。 ここが部落跡なのかと思った。 右手にも石垣に囲まれた比較的新しい家があった。 石の階段を3段登ると玄関が見えた。 家の周りをゆっくり散策した。 雨戸で閉められていて部屋の内部を見ることは出来なかった。 草は茂っていたが、簡単に回り終えた。平屋でそれ程大きくはなかった。 玄関前に立つと思わず、 「ごめんください。」 と言ってしまった。 ガラスがはまった扉を右へスライドさせると思ったより軽く開いた。 玄関はそれほど広くなく、奥は薄暗くカビ臭い独特の匂いがした。 靴のまま上がり、「お邪魔します。」 と小声で言いながら入って行った。 部屋の仕切りは襖のようだが全て開けられていた。 所々から光が差し込んでいてそれ程暗くなかった。 障子を開けると狭い廊下があった。 雨戸を横へ滑らすと簡単に戸袋へ収まった。4枚の雨戸を全部収めた。 部屋全体に陽光と新鮮な森の空気が流れ込んだ。 くの字になった廊下の全ての雨戸を開け放つと、部屋の中で陽光は屈折し空気は流れる道を作った。 畳に積もったホコリが宙に舞、光に反射した。玄関に竹ほうきが置いてあったのを思い出したので部屋の掃除を始めた。ナガテの性分だ。 畳はそれ程傷んでいなかった。しかしほうきで強く掃くと表面が切れた。 ホコリは殆ど外へ掃き出した。本当は雑巾掛けもしたかったが、本来の目的をを見失いそうになったので止めた。 湧き水があると聞いていたので探しに行こうと思ったが腹ぺこなので食事にした。ペットボトルの水をカセットコンロで沸かしカップ麺と鯖の缶詰を食べインスタントコーヒーを縁側で飲んだ。 その時、向こう側に並んだ小屋の間を何かが通ったように見えた。 獣は居ると聞いていたのでイノシシか鹿か何かかと思った。 家は自然の浄化に任せて湧き水を探しに出た。 ここまで来る途中にはソレらしきものはなかったので上を目指した。 ちょうどお昼頃だろう、太陽が真上にあった。汗が皮膚を覆った。 暫くすると水の砕けるような音が聞こえた。船の上から見えた滝が近いのかも知れないと思うと足早になった。どんどん滝音も大きくなった。 岩場が増えて巨石の間を抜けたり岩を登ったりを繰り返すと滝が目の前に現れた。大きくはないが高かった。細い水は途中で霧のようになり少しの塊の水が滝壺に落ちて来ていた。かなり上にある滝の落口には白い物が見えた。 多分頂きの雪だろうと思った。 そう言えばさっきから肌寒さを感じていて見上げれば青空を雲が覆い始めた。滝壺の横に何か人工物のような物を見つけたので近づいてみると、四角く囲った小さな水溜めがあり奥を見るとコンコンと水が湧き出ていた。 ここの事か、と思った。 とりあえず持って来たペットボトルと水筒にその水を流し入れ味見をした。 冷たくて美味しかったが首筋にしびれを感じた。 滝壺を覗くと紺碧の色をたたえて恐ろしく深いと感じ足がすくんだ。 後退りしながら来た道を戻り始めたが何かしら気配に違和感を感じた。 「はっ」と振り返り水溜め場に戻り回りを見渡すと右側に脇道を見つけた。 そこは行き止まりになっていたが岩をくり抜いた祠があった。 近づいてみると間違いなかった。 あの丘で見た石の塊。 カガリの祠で見たあの石の塊とソックリだった。 お供え台も同じ様にくり抜かれていた。 ナガテは水筒を出して大きめの穴に水を注いで手を合わせた。 さっきまで雲に覆われていた空から光が注がれ始めた。 ナガテが注いだ水にも陽光が反射して石の塊を明るく照らした。 引き返して岩場を降りようとすると水平線に薄っすらと島影が見えた。 北海島だろうと思った。 そしてこの島の海岸線に目をやると防波堤と船着き場が小さく見えた。 ほんの数時間前にあの船着き場から上陸したんだな、と思っていると船着き場に何かが置いてあるように見えた。 上陸した時はあの辺りに何もなかった。 目を凝らしてみても確かに何かがあるのか、いるのか間違いなかった。 部落跡で獣のような物を見たので、ソレかも知れないと思い下り始めた。 途中で船着き場を見たが何もなかった。 家に着くと夕食の準備を始めた。 陽が傾き始めると島影の闇も手伝って夜の訪れも早い。 おまけに寒さも北海島より数倍寒い。 早めに全ての戸を締め切って一部屋だけを使った。 しかも一人用のテントを張り寝袋も用意した。 汲んできた水を沸かしフリーズドライのスープを作りレトルトのご飯とカレーを温め食べた。 もう辺りは真っ暗闇になり、たまに鳥の鳴き声が聞こえた。 トイレに行きたくなったのでランタンを持ち廊下の突き当たりにある厠へ入った。 厠は家を掃除した時に使える事を確認していた。 ランタンを枕元に置き今日一日の事を思い返した。 荒れた海、獣、滝壺、水溜め、祠と石の塊……。 .....いつの間にか寝入った。 畳を歩く様な気配がした。 獣が入って来たのか!そう思いゆっくりと身体を起こそうとしたが寝袋の何かが引っ掛かって身動きが取れない。 ランタンは灯しておいたはずなのに消えていた。 目をしっかり開けているにも関わらず真っ暗な闇の中で開けているのか瞑っているのか分からなかった。 そのうちに耳元で息づかいが聞こえて来た。 ヤバい!テントの中にいる。 と思ったがどうにも身体が動かなかった。 すると、 「お前わたしを飲んだろ。わたしの血を。」 と声が聞こえた。 間違いなくそう言った。 身体の震えが止まらなくなっていた。 「オレもお前を飲む。お前の血を。」 そう聞こえたと思ったら、身体全体に重みがかかり息苦しくなった。 しかし恐怖感は薄らいで来た。 そのうちに背中と胸の辺りが熱くなり変な気持ちになった。 下半身が熱くなり首筋に柔らかな感触があると思った瞬間、 「あっ!」 快感が身体を走り……はてた。 ナガテは目を覚ました。 身体が火照りさっきの感覚が残っていた。 変な夢だった。 ランタンの灯りが揺れている。 起き上がろうとすると下半身に違和感があった。 夢精していた。 「こんなトコで一体何してんだよ。」 と呟き自分が情けなくなった。 外は少し明るくなっている様だった。 テントとジーパンのファスナーが開いていた。 パンツを手にぶら下げてテントから出ると薄く積もったホコリが玄関に向かって等間隔で抜けていた。 やはり何かが入って来たのだろうか? 玄関を出て周りを見渡してみたがこれと言って変化はなかった。 明るくなり始めた外の空気は冷たい霧を含んでいて寝ぼけた顔を潤した。 貴重な水でパンツを洗うとは、ブツブツ言いながら木の枝に掛けた。 昨日といい今日といい奇妙な夢だったと思い返しながら朝食を食べた。 ふとカガミ マイコの事が気になった。 この島の火口まで登って行方不明になった登山家。 もちろんナガテは火口まで登ろうなんて思っていないし登る技術もなかった。 どこまで行けるか分からないがこの島の裏側に行ってみようと思った。 準備を整え登り始めた。 滝壺の右側は祠があってその先は行けそうもないので、左側へ回った見た。 時折降ってくる水しぶきを顔に感じながら底しれぬ紺碧の滝壺の淵を少し早歩きで進んだ。 道は細いが獣道は続いているようだ。 木々が茂っていて顔に当たった。 暫く行くと朽ちた山小屋があったのでチョット覗いてみると、人が住むような作りではなく家畜小屋のようだった。 そこを通り過ぎると開けた平地に出た。 背の低い木々が邪魔したが多少海が見えた。 右側は木々に覆われ大きな岩が張り付いた岩盤になっていた。 「おい。」 周りを見回したがもちろん誰もいない。空耳か? と思いながら歩こうとすると、 「何してる。」 と上の方からはっきりと聞こえた。 慌てて上を見ると、髪の長い色黒の青年が岩に座っていた。 「ひゃ!」 と言って後ろ向きに尻餅をついた。 「ははは」 とその青年は笑った。 「驚かすなよ!ビックリしたじゃないか!」 と語気を強めてナガテは言った。 「おまえ誰の許しを得てここに来た?」その青年が尋ねた。 「この島に来るのに誰の許しがいる! この島は誰の物でもない。 お前一体何者? いつこの島に来たんだ?」 とナガテが言った。 「ここは俺の島だ。 お前が来るような所じゃない。 分かったらさっさと帰れ。」 と青年も負けじと声を荒げた。 「知ったこっちゃない!」 とナガテが言い放ち行こうとすると。 「なに~!」 と彼は上から飛び掛かって来た。 その瞬間ナガテは彼の胸元を掴んだ。 柔らかくふっくらとした感触があり思わず、 「あっ!」 と手を放した。 その時、彼の額がナガテの口に直撃して唇を切って出血した。 「ううう!」 とナガテは口を押さえた。 「だから早く帰れと言ったんだ。」 と言い青年は自分の額と口を拭った。 その時手に付いたナガテの血が彼の唇に触れた。 すると、 「これは!」 と彼は呟いた。 「おまえひょっとして...女じゃないよな。」 とナガテが聞くと。 「それがどうした。」 と彼…彼女は答えた。 「こんなとこで女ひとりでうろついてんじゃない。」 とナガテが言うと。 「余計なお世話だ!おれ1人じゃない。」 と彼女は言った。 ナガテの唇は腫れて来て痛みが酷くなって来た。 「うう…ひどく痛い。血が止まらない。」 とナガテは口を覆ってしゃがみこんだ。 彼女はナガテの顔を覗き込み、 「そんなに痛むのか。 ....仕方ないからヒババの所で治してもらおう。」 とナガテの肩を取り立ち上がらせて歩き出した。 岩盤の後ろに回ると洞窟の入口があり、入るとそこは明るく暖かかった。 少し歩くと平らな石の上に木造りのテーブルと椅子が置いてあり、その近くにはベッドのような寝床があった。 彼女はナガテをそこに寝かせた。 出血が酷く唇がタラコのように腫れ上がった。 誰かが側に来て話し声が聞こえた。 その内に何かの香りが漂って来たと思ったら、いつの間にか気を失っていた。 どれほどの時間が過ぎたのだろうかナガテは目を覚ましたが、頭がふらついて上手く起き上がれなかった。 諦めて身体の力を抜き周りを見回した。 近くの椅子に白髪の人が背中を向けて座っていた。 「目が覚めたかい。 痛みはもうないはずじゃ。出血も止まっておる。」 と話しかけて来た。 「ええ。痛くありません。」 唇を撫でながらナガテは言い、 「ここに、住んでいるんですか? 無人島だと聞いてたんですが。 あの髪の長い人は一体どういう人なんです? それにあなたも。」 と立て続けに聞いた。 「聞きたい事が多そうじゃな。 わしはここで生まれ育った。ただそれだけじゃ。 時間とか年月とかあんた達はよく言っておるがわしらには関係ない。 生きる時は生き、屍になる時はなる。 そうやって来たんじゃ。 あれはわしの娘の子。 孫じゃな、分かったかい。」 「ええ、わかりました。女性ですよね。あの人。」 とナガテが聞くと。 「だからそれがどうした。」 洞窟の入口からそう言いながらその娘が入って来た。 「随分とオレに興味があるようだな。 一応聞いておこうかおまえの名前。」 横になっているナガテの側に来て言った。 「ボクはトウヤ ナガテ。 お前の名は?」 「カガリ。カガリ マイコ。」 「カガリ?またフザケてんのか?」 ナガテが聞くと。 「オレはお前に会った時言った筈だ。 ここはオレの島だと。」 「分かった分かった、もういい。 何と言おうがお前の自由だ。 信じるか信じないかは僕の自由だ。」 とナガテが言うと。 「お前ほんとに死にたいようだな。 首を落として食ってやろうか!」 カガリが言った。 「おぉ〜怖い。女のくせに。 人食い人種の野蛮人か?」 とナガテはカガリを睨んだ。 「殺す!」 カガリはナガテの首を絞めようとした。 「アハハハ。 お前たち、随分仲がいいようじゃな。 やはり縁は何千年何万年経っても途絶える事は無さそうじゃ。 愉快愉快。」 と白髪の人は笑った。
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