ミケさん

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この時代にまだ煙草を吸っているなんて、と自分自身思わないでもない。 けれど、手を出してしまったのだから仕方がないし、今のところやめられそうに無かった。 派遣バイトのメールで呼び出された会社での仕事が終わった帰り道だった。 昼過ぎに持っていた煙草がすべて終わってしまったのでコンビニを探しながら駅に向かって歩いている。 「にゃぁ。」 猫の鳴き声がした。 そちらの方をみると、古そうな看板に「たばこ」と書かれたものが見える。 ガラスケースがレトロで思わずそちらに行くと、三毛猫がその向こうで伸びているのが見える。 三角形の顔をした美人の猫だった。 「いらっしゃい、かな?」 声をかけられて少し驚く。 ガラスケースの向こうに人がいたのだ。 「ここ、やってるんですか?」 「ああ。それとも、この子にご用かな?」 ミケっていうんだ。安直だろ? たばこ屋の男は、そうとは思えない位整った顔立ちをしている。 髪の毛は真っ黒でさらりとしている。 「……あ、あの。煙草とねこ両方なんですが。」 丁度煙草は欲しかったし、猫もとても丁寧に手入れされているように見えてもう少し見ていたかった。 「じゃあ、せっかくだから中にどうぞ。」 男はここからどうぞとショーケースの横の引き戸を指差す。 中は、少し小さめの畳がひかれているとても狭いスペースだった。 入ってすぐの土間との境の畳に腰をかける。 靴を脱いであがりこめるほどのスペースは全く無い。 「にゃぁ。」 三毛猫、ミケに挨拶をされる。 俺の元まで近づいてきて、頭を俺の腰に擦り付ける姿はとても可愛い。 「銘柄なに?」 購入する煙草の銘柄を伝えると「メンソール入りなんて生意気だね。」と笑われた。 灰皿とともに煙草の包みを渡される。 「君、煙草の匂いが服にべったりとついてるねえ。」 たばこ屋の青年に言われる。自分では自覚が無いが恐らくそうなのだろう。 それが何故だかは分からないけれど、まるで懐かしいものを語る様な口調で言われてしまい困惑する。 先ほど何か遠くを見る様な表情だったはずなのに、たばこ屋の男は無表情に近いぼんやりとした表情になってしまう。 猫はひとしきり俺を確認するように頭をこすり付けて俺に撫でられると、たばこ屋は「君、この辺の人?」とどうでもいい話をした。 狭い室内に煙が広がっていく。 猫は気にした様子もなく飼い主の下へと向かっていく。 吐き出した息はいつも通りメンソールの匂いがした。 煙草を1本じっくりと吸い終わり、灰皿に押し付ける。 ミケはしっぽをゆらゆらとゆらしながら、男のひざの上にいた。 彼の顔にまつげの影ができている。 妙に絵になる姿だと思った。 名残惜しいと何かを思った事はあまり無い。 けれど、今日はこの場所を離れるのが少し名残惜しい気がした。 それじゃあ、帰ります。そう言おうとした時だった。 「ミケを散歩するんですが一緒にいきます?」 ぼんやりとした表情のままたばこ屋の青年は言う。 「猫を散歩ですか?」 「ああうん。いまどき外に放す訳にも行かないからね。」 慣れた様子で三毛猫に首輪付きのリードをはめてしまう。 猫はなれた様子で、とことこと歩き始める。 犬と状況は同じなのに、少し違和感がある姿の猫を見て面白い気分になる。 それから、青年が立ち上がった。 すらりとした姿をみて、思わずゴクリと唾を飲み込む。 ミケは勿論すらりとした美人さんだ。 けれど、思わず目で追ってしまったのはたばこ屋の青年の方で、その事実に自分でも驚く。 「あ、行きます!店は――。」 「ああ、これ出しておけば大丈夫だから。」 今日日、わざわざたばこ屋に来るお客は少ないよ。 休憩中の札を持って、青年は柔らかに笑った。 その時思わず目をそらしてしまった理由は特に無い。 別になんとなく後ろめたかったからでは無いと思う。 それじゃあ行こうか。 道路に出た青年に言われ、まるで壊れたロボットのように首をぶんぶんと縦に振ってしまった。 三毛猫は、まるで呆れたように「にゃぁ。」と一声鳴いただけだった。 了
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