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夏休みの自由研究でフォロワー千人獲得してみる。
完全な思いつきにしては、なかなか面白いと自分では思う。
ズブの素人(しかもただの高校生)が一ヶ月ちょっとの間でゼロから千人、集客できるか。
これってマーケティング的に考察したら、案外意味深いんじゃないか。
それに将来リーダーとして会社なんか起こした時に、この経験はきっと役に立つ。
そうと決まれば早速家に帰って、自分のパソコンを立ち上げてツイッターなるものを観察してみた。
フォロワー千人がどういうレベルのものなのか知りたかったからだ。
僕がイメージするツイッターの使い方というのは、あくまでも有名人(タレントとか歌手とか、そうそれこそアイドルとか)なんかが自己アピールとファンサービスと宣伝のために公的メッセージを発信する、というものだったので、当然フォロワーなんかも何万人というのが普通だと思っていたけれど、調べてみたらそうでもなかった。
確かに僕が思うような「もとから有名人」というタイプのひともいるにはいたし、そういう人たちは何もしていなくてもフォロワーが何万人、ときには何十万人といたけれど、その「フォロワー」である人たちは当然ながら無名の一般人が大半だった。
その人たちはそれぞれ、フォロワーが百人とか、人によっては十数人。
つまり、一部の人は意外にも、この広大なネットワークの中で極めて閉鎖的な人間関係を育んでいる。
要するに家族や友達と「つながっている」わけだった。
だったらメールでもしてりゃいいじゃねえか、なんて思ってしまったが、きっと狭いコミュニティの中で情報を共有するのに使っているんだろう。
それはそれで好きにすればいい。
僕の気にすることではない。
僕はここまで知ったとき初めて、ネットニュースなんかで出てくる飲食店で何かやらかしたり、コンビニの冷蔵庫の中で記念撮影して炎上しているヤツらの気持ちを理解した。
世界に向けて愚行を見せつけたかったわけじゃないんだ。
仲間内で悪のりしていただけだったんだな、あいつら。
各種炎上事件には興味はない。
というか、それでフォロワー千人獲得しても何にも得をしない。
次に調べたのは、一般人のように見えるけれどフォロワーが多い人たちだった。
僕は彼らにネットスターという名をつけた。
彼らの形態は様々で、一概にこうと定義したり、この方法で集客できる、というメソッドもなさそうだと推測した。
ツイッターの世界の中では「いいね」というものが流通していて、これは文字通り誰かの投稿に対して「いい」と思ったらボタンを押すというシステムなんだが、僕にはこれが通貨に見えた。
別に価値の高い通貨じゃない。
たとえれば、十円玉とかそういうものだ。
これを気軽に誰かにあげて、貰ったひとは気軽に受け取る。
だけど受け取りっぱなしじゃ悪いから、誰かに十円、投げ返す。
そういう感覚なんじゃないかと思った。
面白いのは、これが貨幣価値とは違う独自の価値を持っていること。
金銭とは交換不能なんだ、この価値は。
それがなんとかコインなんていう仮想通貨とは圧倒的に違うところで、これでやりとりしているのは小さな「好意」だ。
ツイッターという世界を覗いて、この独自の文化の中で新しい経済のようなものが芽吹いていることに驚いた。
今までツイッターに興味の無かった僕にとってはまったく価値が見いだせないが、この世界では「いいね」には価値がある。
ワンクリックで無限に生産可能で、しかもたぶんこれを貰って喜ばないひとは、この世界にはほとんどいない。
「いいね」をたくさん集められる人にはおそらく、この世界の中では権威があるぞ、と僕は思った。
ちょうど、僕の知っている世界で偉人の肖像が刷られた紙切れを集めた人間に権威があるのと同じように。
当然のことだがこの「いいね」をたくさん集めているネットスターは、たくさんのフォロワーを獲得していた。
たくさんのフォロワーを獲得したから、「いいね」持ちになるということか。
因果関係なんかどうでもいい。
鶏卵論争なら、よそでやってろ。
見た限りでは、フォロワー千人はツイッターの中では上位には入りそうだが、まるで手の届かない話ではなかった。
問題は僕の使える時間が、夏休みの間、たったの一ヶ月少々ということだけだ。
うまくやらなければ、相当厳しいだろう、これは。
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