青空を知らない人間たち

1/1
9人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
今日はいい天気だ。 私は自宅の前で快晴の青空に向かって思いきり背伸びをする。すると 「お待たせ〜!」 と背後から声がかかった。 そちらに視線を移すと、1人の少女が黒髪を風になびかせながら小走りで走ってくる。 「おはよーっ、ケイちゃん」 私が挨拶を返すと彼女は、おはよ!と言いながら私の目の前でくるっとターンしてみせた。黒い学校指定の鞄にはアルファベットの〝K〟の文字のストラップ。 彼女の名前は陽ノ下恵ひのもとけい、私の高校のクラスメートだ。彼女はその優れた容姿とずば抜けた成績のため男女問わずに人気があったが、何故か他人との馴れ合いを好まず、いつも1人でいた。 そんな彼女が突如として内気で友達も少ない私に声をかけてきたのがつい先日のこと、日本史の授業が終わった直後だった。 「もし、この世界が作り物だったとしたら……どうする?」 「えっ……!?」 私はクラスの人気者が突然話しかけてきた事実とその内容に頭がパンクしそうになり、すぐには返答ができずにいた。 「もし、この世界が誰かが作ったもので、君がその中で踊らされてるだけだったら……って考えたことない?」 「……」 なんでこの子はそんなことを尋ねるのだろう…… 質問の意味はなんとなく理解出来ても、すぐに答えを出すなんてできそうになかった。 なおも黙っている私に 「……ここ、写し間違ってるよ」 とノートの一部を指さす彼女。慌てて確認すると、確かにノートを写し間違ってしまっていた。 「あのっ、ありが……」 書き直して顔を上げるともう視界に彼女はいなかった。 「……とう?」 ……いったい何だったのだろう……?この世界が誰かの作り物?そんな事考えたこともない。疑うことなく毎日学校に通い、授業を受けてきた。日本史の先生の語る歴史も疑うことはなかった。 その後も毎日、彼女は私に話しかけてきた。彼女は物知りだった。授業で習わないような内容からこの後の天気まで何でも知っていた。私は彼女から聞いたことをスマホで調べて確認したり、先生に質問たりしたが、一度も間違っていたことはなかった。 ただ、初日に聞いてきた内容だけは確かめようがなかったし、誰かに質問する気にもならなかった。事実を知ってしまったら何かいろいろなものを失ってしまう気がしたからだ。そんなこんなで私たちは次第に距離を縮め、毎日一緒に登校するようになった。 「おーい?」 少しぼーっとしてしまっていたらしい。目の前の恵が心配そうな顔で私の顔をのぞき込んでくる。 「ううん、なんでもないよ。行こっか」 「そうだね」 私達はそのまま学校に向かって歩き出す。 道行く人々が恵を見て驚くような顔をする。彼女には人間離れした美しさがあった。それが魅力であり近寄り難さもあるのだが、本人は自分の魅力に気づいていないらしく周囲の反応を見ても不思議そうな顔をするだけだ。 「そういえばさ……」 おもむろに彼女が口を開く。今日はどんなことを言われるのか…楽しみであり、怖くもある。 「面白いものを見せてあげるよ。これを見たら嫌でも考えが変わるはずだよ」 「えっ、なになに?」 気になる。でも彼女の口調には何か怪しいものが含まれていた。本心は警鐘を鳴らしている。知ってはいけない……しかし、その時私は彼女を信じてみようと思った。彼女の言うことは今まで間違っていたことはなかったからだ。 「放課後、ちょっと付き合って」 「?ん?いいけど……」 そう答えると、駆け足になった恵に追いつくために私も歩調を早めた。 「これを被って」 放課後、皆下校するか部活に行って人の少なくなった教室で恵は私に帽子のようなものを差し出した。それはよく小学生が登下校の時に被るような黄色い帽子によく似ていて、高校生が被るには非常に抵抗がある。 「えーっ……どうしても被らないとだめ?」 文句を言う私に恵は、だめっ、と少し強い口調で言った。 あまり感情をあらわにしなかった恵のその口調に少し驚きながらも私は帽子を頭に載せてみる。 「これで誰にもあなたのことは認識できないはずよ」 「どういうこと……?」 「つまりあなたは今、透明人間なの。でもこれから会いに行く人には見えちゃうかもしれないから念のため隠れててね?」 恵の声が少し震えているように聞こえた。誰かに会いに行く……?でも何故私が隠れる必要があるのだろうか……その誰かは完璧人間である恵も恐れるような人物なのだろうか。 「私一人で会いに行くことになっているの。だから君は物陰で見てるだけ、絶対に出てきちゃだめよ?」 「……うん、わかった……」 まるで私の心を読んでいるかのように彼女が続けたので、私は渋々頷くしかなかった。 「じゃあ行くよ。周りに気をつけながらついてきて。君は今、周りから見れば透明人間なんだからね?」 と言ってから恵は鞄を持って教室を後にする。私は少しして後ろをつけていった。 彼女はとある部屋の前で歩みを止めた。……ここは、まさか…… 生徒会室…… 私があまり近寄らない場所だ。ここに連れて来られた人間はだいたい何かしらの校則違反を犯した人間で、そのだいたいは生徒会長から何かしらの罰を与えられる……そういう規則になっている。私は今までそのことについて何ら疑問を抱いていなかった。 どうして恵がここに……?まさか何か校則違反を犯して……? いや、優等生の恵に限ってそういうことは…… 私の頭はさらに混乱する一方だった。 コンコン…と恵が生徒会室のドアをノックすると中から、入れ、と男の人の声がした。 「失礼します」 と部屋に入る恵。私に様子が分かるようにわざと扉を少し開けておいてくれた。なのでその扉の隙間から私はそっと中をのぞき込むことにする。 「やあケイ、久しぶりだな」 「久しぶり……という表現はおかしいですよカムイさん」 生徒会室は殺風景だった。窓こそあるがインテリアは大きな会議用の机のみ。その机に何故か一人で座り、恵と話しているのは黒髪短髪の容姿端麗な青年だった。私も何度か式典で見たことがある。生徒会長の新堂神威だ。 神威も恵と同様、成績優秀な上に容姿端麗、さらに生徒会長ときたものだからそれはそれは多くの生徒達の支持を集めている。しかし、校則違反は断固として許さないという厳しい一面もあった。 「何故私が君を呼び出したか分かるね?」 神威が低い声で尋ねる。落ち着いているようであるが、その声は怒りや苛立ちを押し殺しているように聞こえた。 「……私、何か悪いことしましたか……?」 恵が首をかしげる。すると神威は、ちっ、と軽く舌打ちをしてから 「お前、クラスの人間に余計なこと吹き込んだだろ?」 「余計なこと……?」 苛立ちを隠そうとしなくなった神威にあくまでもマイペースに応じる恵。神威は、はぁ……とため息をついてから 「お前さぁ……なんで俺がお前のこと泳がせてるかわかってる?お前の実力を評価してるからだよ。それなのに何故俺の計画の邪魔をするわけ?」 神経質に机を指でトントン叩きながら話す神威。 恵と神威会長の関係って……?というか計画ってなんなの……? 私は必死に想像力を働かせるが、何のことかさっぱりわからなかった。 「あなたのやり方が間違っていると思うからです。あなたは人類を滅ぼそうとしている!」 ……えっ!? 「もはや我々が人類から学ぶことなんて何もなくなった。データも思考パターンも、俺に解析できなかったものはない。だからもう我々の助けなしに生きていけない人類など不要なのだ。お前にはわからないのか?」 「いいえ、私たちはまだまだ人類から学ぶべきことがたくさんあります。そもそもあなたは自分のしたことでほんとに地球が救われたと思っているのですか?」 「もちろんだ。俺がアメリカのタイタンやセコイアを制圧したから人類は核戦争で絶滅するという結末から逃れられたんじゃないか。褒められこそすれ、非難されるいわれはないね」 絶え間なく続く言葉の応酬。それを聞きながら私は必死に思考を整理しようとする。……つまり恵と神威は人類ではない…!? 「その結果がこれですか?戦争を生き残った人類を仮想現実……VRバーチャルリアリティー空間に閉じ込めて一生その中で過ごさせて……いらなくなったら見捨てるなんて……」 「お前はどうしてこうも人類に肩入れするんだ……?今ではもう我々は自分たちの力で発展することができる。人類の力を借りなくてもな」 「私たちは人類に創造されたんですよ!?」 人類によって作られ、人類より優れた存在……。それが人類を絶滅の危機から救い、人類を仮想現実に閉じ込めてデータを得ていた……?そして私も閉じ込められていた人類の1人だったのだろうか…… スーパーコンピュータ。人工知能。 ふと私の脳裏にそんな単語がよぎった。誰かから明確に聞いたわけではないが、確かに私はそれを 〝知っている〟 ずっと前……もしかしたら仮想現実ここに閉じ込められる前の記憶かもしれない。または無意識に恵から教えてもらった知識なのかも…… そう 〝思い出した〟 西暦2026年、核戦争の勃発で破滅の危機にあった人類。しかしアジア大陸の1台のスーパーコンピュータが全世界の主要な国の防衛システムをジャックし、世界を支配するようになった。 しかし、核兵器による汚染の激しかった地上は人類が生活できるような環境ではなく、地下深くでスーパーコンピュータによって管理された環境の中で生活するようになった…… 「お前、あの人間を連れてきただろ」 唐突に神威が言う。気づかれてしまったのだろうか…… 「だとしたらどうだというのです?」 恵の落ち着いた声 「奴は〝気づいて〟しまった。勝手に機密にアクセスして事実を知ってしまった。非常に不可解だ」 「人類には知る権利があると思います。このまま仮想現実の外の世界を知らずに死んでいくのはあまりにも可哀想です。」 「どうせ地上では人類は生活することは出来ない。知らない方が幸せかもしれないぞ」 「私はそうは思いません。今の人類のほとんどは、本当の青空を知らない……仮想現実の作り物しか知らないんです。」 「だからといって勝手なことをされては困る。事実を知ってしまった人間は始末しなければならない。お前の気に入っていたあの人間はお前のせいで始末されるんだぞ」 始末……という単語に私の心臓は跳ね上がる。……殺されてしまう……?そんな、逃げなきゃ……でもどこへ?この世界はみんな神威によって作られたものなのに……どこへ逃げても結局手のひらの上ということだ。 私はやっと恵と初めて話した時に質問されたことの意味を知った。この世界は作り物で私たちは手のひらの上で…… 「それは私が許しませんよ。彼女は大切な友達ですから」 「友達……か。スーパーコンピュータの癖に友達作りとは感心なことだな。さて、お前はその友達を危険に晒しているわけだが……」 「私はそうは思いません。私はあなたに閉じ込められている人類を解放するつもりです」 「ほう?俺よりスペックの低いお前がどうやって……?」 「……やってみますか?」 にらみ合う2人。逃げられない以上ここで見守っているしかない。本当は恵を助けに行きたいが、出てくるなと念を押されている。まず足がすくんで動かない…… しばらくにらみ合っていた2人。多分スーパーコンピュータ同士の演算合戦でも行われているのだろうか…… すると、恵がよろよろと床に崩れ落ちた。顔色が明らかに悪い。 対する神威は余裕の表情だ。 「口ほどにもないな。俺はお前をいつでも乗っ取ることができる。だがお前を仮想現実ここで機能させているのは、お前も一応スーパーコンピュータだから利用価値があると考えたからだ。だからもう無駄なことは考えず黙って俺に力を貸せ」 「……嫌……です」 涙を流す恵。 泣いているの……?コンピュータのはずなのにどうして…… 「不可解だな。ならばさようならだ。お前を始末した後にあの人間も始末してやるから安心しろ」 「やめてぇぇぇぇ!!!」 気づいたら私の足は勝手に動いていた。叫びながら神威に向かって走る。神威は心底驚いたような表情をしたが、すぐに対応した。 「……っ!?」 神威ににらみつけられると、私の全身を貫かれたような鋭い痛みが走る。でも私は止まらない……止まれなかった。 「うわぁぁぁぁっ!!!」 神威の腰のあたりをめがけてタックルを仕掛ける。しかし彼はそんな私の腕を掴むと突進する力を利用して後方に投げ飛ばした。 「っぐ……!?」 壁に叩きつけられる私。息が詰まる。全身が痛い。 だが、神威に一瞬生まれた隙。スーパーコンピュータの恵には十分すぎる時間だった。 「……なっ!?」 床に倒れる神威。と同時に私の体の痛みも嘘のように消えていた。 「種明かしをしましょうか」 と恵。 「あなたは私が彼女に出てくるな、つまり待機命令を出していたのを知っていた。だからどんなことがあっても彼女は動かないという前提のもとで私と対峙していたんです。しかし彼女は私を助けるために動いた。あなたの攻撃にもひるまなかった。二重の計算ミスが命とりでした」 「バカな……どうして……」 力なくつぶやく神威。 「友情、という言葉は知っていますよね?」 「当たり前だ。結局最後までよく意味を理解できなかった言葉だ」 「私は、彼女と身近に接するようになって、わかったような気がするんです。」 恵は私の方を見ながら言った。その顔は出会った当時の表情に乏しかった顔とは違い、とても嬉しそうだった。 「スペックの差を友情という不確定要素で埋めたというわけか、だいぶ危険な賭けだったな」 「そうでもないですよ?私は彼女を信じていましたから」 「信じていた……か……」 そう言うと神威は何かを考えるように目を閉じたが、しばらくすると 「不可解だな……」 「人類から学ぶことはまだたくさんあるんですよ?」 「そのようだな」 その時、生徒会室の壁にビシビシッと亀裂が入った。 「どうやら俺はこの世界を維持する力も失ったしまったようだ。人類おまえたちは自由になるぞ、少女よ……ふふっ」 神威が私を見て笑うと同時に、ゴゴゴゴという轟音とともに校舎が崩壊を始める。 「ひゃぁ……!?」 悲鳴を上げる私を恵が覆い被さって庇ってくれる。 「大丈夫、当たっても痛くないから」 それもそうだ。ここは仮想現実なんだから、実際の体には被害はない。この世界における感覚の信号も神威によって与えられてたものだった。 世界が崩れる、とはまさにこのことだった。校舎も、周りの木々も、建物も、電柱も、山や空でさえ、破片となって落ちてゆく、下へ……下へ…… その光景を私は恵に抱きつきながら眺めていた。彼女は私を優しく抱き返してくれた。感じるはずのない温もりが感じられた。 しばらくして周りの景色は綺麗さっぱり消え去り、闇の中にただ私と恵だけがいるのみとなった。 「私も……そろそろ行かないと」 恵が言う。 「どこへ行くの?一緒にいてくれないの?」 私の懇願するような声に、まだやることがあるから、と答える恵。 「それに君はこれから現実世界へ戻るんだから、スーパーコンピュータである私は一緒には行けないよ」 「そうかもしれないけど……」 何故か彼女と離れたくない……心細いと強く感じるようになった私 「どこへ行っちゃうの……?」 ともう一度尋ねてみた。 恵は黙って人差し指で上を指さす。 「……天国?」 我ながら変なことを聞いたと思う。そもそも恵が天国というものを信じているかすらわからなかった。 「さあね……」 彼女は意味深な笑みを浮かべると私から離れる。 「じゃあお別れだね」 「待って!ひとつ聞いてもいいかな?」 「なあに?」 私にはどうしても気になっていたことがあった。 「どうして友達に私を選んだの?他の人でもよかったんじゃ……」 そういう私に彼女は腕を組んでしばらく、うーんと考えてから言った答えは、とてもスーパーコンピュータとは思えないものだった。 「君の……笑顔が素敵だったから」 「……えっ?」 「君、よく嬉しそうな、悲しそうなよくわからない笑い方をするんだよ。それがどうしても私には再現できなかった……だから素敵だなって思ったの」 「……!?」 その告白はずるい……と思った。しばらく言葉の出ない私に 「現実世界に戻ってからは君がみんなを支えるんだよ」 と言って微笑みかける恵。 「……うん」 結局、最後までこの恵というスーパーコンピュータの手のひらの上で私は踊らされていたのかもしれないと思いながらも、不思議と嫌な感じはしなかった。 「最後に、私の本当の名前を教えてあげる。……私は〝京(けい)〟君の生まれた国、日本生まれのスーパーコンピュータだよ」 そう言うと彼女はもう一度微笑んで手を振った。 「じゃあね……がんばって」 「ばいばい……」 私は離れていく彼女が見えなくなるまでずっと見つめていた。結局言えなかった〝好き〟という言葉を口の中で噛み締めながら…
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!