息苦しいこの地上で

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 私、一歩(にのまえあゆみ)は子供の頃、まるで虫さんみたい、と呼ばれた事がある。  単純に夜行性ぎみなことと、蝶のような綺麗なモノを指して、それに準えただけなのだろう。  けれど、私からすれば案外的を射た表現だと思う。ただし、私は蝶ではなく、蛍光灯に群がる小汚ない蛾だったが。  そんな簡単なことに気が付くのに、私は成人まであと五年という時を要した。 …私は、光を求めずにはいられなかった。大きな光を、心からの安心を求めていた。  大きな木に寄生して、その甘い汁を啜ることでしか生きられない、醜い生き物だ。  辺りを見回して、他の人間と同じように、同じ空気を吸って、同じ意見に同調して、同じ……、 「気持ち悪い」 ……そう。思っていた。あの時までは。 「吐き気がする」  そんな、温くて、心地よくて、いつまでも浸かっていられる空気の循環を妨げる、ひとりの子がいた。  その子は望月螢、という名前だった。女の子みたいな名前だけれど、男の子だ。  シャープな顔付きと、華奢な体つき。真っ黒な髪が余計に女の子っぽくて、それに触れると酷く不機嫌になる。  私は彼のことを、この時はよく知らなかった。あまり他人と行動を共にするタイプでないし、クラスの委員も淡々とこなす、暗いイメージだった。  そんな彼が、いきなり、なんの脈絡もなしに、嫌悪感を吐き出した。或いは、兆候はあったのかもしれない。ただ私をはじめ、他の人には気が付かなかっただけなのだろう。 …望月螢は、異物だった。綺麗な星座を象る、気持ちのいい空気に紛れ込んだ、小さな星だった。  空気が読めない、とみんなは言う。十数人が形作っている、手を繋いで作られた人の輪を、その少年は否定した。  空気は、時に凶器に変わる。息をしなければヒトは死んでしまうように、真綿で締め上げるような、小さな、しかして執拗な排斥が始まった。 …私は、その行為に参加したくなかった。その子が投げ掛けた一石は、他の人には意味がなかったけれど、私という羽虫には深々と突き刺さった。  暖かくて、楽で、気持ちがいい筈なのに。私には、何故か違和感がぬぐえなかった。時折、立ち眩みのようなものを覚えることはあった。  けれど、それはただの『気のせい』と思い込んでいた。いや、そうに違いないと定めていたに過ぎない。   私は、その空気を、光から離れて生きられない。もし、そのしるべとするモノがなければ、私は一歩も踏み出せないのだ。  なんて臆病なのだろう。胸の奥に引っ掛かる違和感を抱きながら、自分の保身のために見て見ぬフリなんて、美しい蝶のすることではない。  現れた異物を前にして、私が綺麗な羽の蝶ではなく、ただの汚らわしい毒蛾だと、気付きを与えたのだ。
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