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──目が腫れぼったい。脳が機能不全を起こしている。間違うことなく寝不足の証だ。
「…ちょっ、マジで大丈夫?」
客観的に見ても非常にまずい状態だった為か、クラスメートにも心配をかける始末だった。
「ねぇ、なんかあったの?」
そう尋ねられ、つい手の甲に目をやって、次にちょうど対角線上の先に座る、頬に大きめの湿布を張った女顔のほうを向いてしまう。
「なんでも、ない」
…と強がってみるが、やはり身体の調子は勿論、内面も芳しくない。自分の想像以上に、昨日のコトを引きずっている。
サボりは主義じゃないけれど、こんな有様では次の授業すら厳しそうだ。顔に笑顔を張り付けて、保健室に向かうと告げる。
よろよろと立ち上がると、ふいに対角線上から視線を感じる。心臓まで突き刺さる視線から逃げるように、足早に退室する。
「…なんで、こんな時に限って居ないの」
保健室へ半ば逃げるように着くと、そこは人一人居ない。ただ九月のにわかに冷たい風がそよいでいた。
保険教諭が居ないのは、通り掛けの一年生の教室に居たので、おそらく授業で席を外していたのだろう。
…せめて愚痴のひとつでも零せる相手が欲しかったけれど、流石に贅沢に過ぎると結論付けて、私はベッドに身体を投げ出す。
…手の甲はまだじんじんと痛む。私は徐に手を天井に座す丸い蛍光灯に翳す。赤く透けて、そこに血が通っているコトを証明している。
「…ホント、良くできてること」
月と呼ぶにはあまりにも弱い光を放つ、視界に映る丸い蛍光灯に向けてそう呟く。
耳をヘッドホンで塞ぎ、コンタクトを外し、胸に刺さる罪悪感から逃れようと、纏わりつく睡魔に身を委ねる。
…ふと思うことがある。ひょっとして、私は人間の中に紛れている、よく似たロボットなのではないか、そう錯覚してしまう。
肉で作られて、似たようなフォルムをしていて、同じように表情を変える。けれど、他とは決定的に何かが違う。
……息苦しい。まるで、光の一片も差さない深い水底にいるみたいだ。呼吸ができない。肺が乾いて、酸素が身体に行き渡らない。
何かに寄生しないと生きられない癖に、同じ空気を吸っても息ができない。精一杯酸欠を隠しながら、同じ顔を並べている。そんな矛盾した生物が、私だ。
流れる空気が不味くて仕方ない。自分の確固たる核が無くて、水流のように流れるだけの自分がとても醜く思えた。
…でも、それでも。その流れに従って生きるしかない。水が、空気が、何もかもが合わなくて、今にも死にそうな癖に、結局は流れることしかできない。
……だからこそ。私は望月螢が嫌いだ。一人の癖に、一人なのに。好きなことを好きと言い、空気に流されない、一個の自分を保つ、その姿が。
『気持ち悪い』
…望月螢の声が鼓膜の、うろんだ脳の中で捻れ、反芻している。
『吐き気がする』
本当にそうだと思う。自分を俯瞰して、他人を俯瞰して、比較する。
それを脳内で何度も繰り返すと、胸の奥が歪んで、軋む。嫌いだ、きらいだ。キライだ。同じ感想が壊れたレコードのように垂れ流される。
…手の甲の痛みは次第に強さを増していた。胸の奥が痛むのに比例して、あの女顔を思い出して、言い知れない心持ちに支配される。
…この感情は形容する言葉が、ふたつ思い至る。それは『罪悪感』と『憧れ』だった。
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