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「彼女は、ナナクサカヤといった。同級生だ。美人で頭もよかったが、変わった言動をする子でな。級友からはナナクセさん、なんて呼ばれていた」
「ナナクセさん」
「ああ。聞けばなんでも知っている。だが何にも参加しない。『なくて七癖』のナナクセさん、だ」
眠いのか、祖父の口調は緩慢だった。椅子に全体重を預け、重くまぶたを伏せている。
「思い返してみれば、そう、彼女は最初からそうだった。遅刻も欠席も多かった。体育はいつも見学だった。だが誰も、少なくとも俺は、全く気づいていなかった」
合点がいった風に呟かれても、ぼくにはさっぱりわからない。憮然としていると、不意に祖父は目を見開いた。
「崩れ出したのは、それから少し経った後だ」
先週まで創作ダンスだった体育が、剣道に変わった日のことだった。
「おい、ナナクセが出席しているぞ」
級友の声がして初めて、ハギリは彼女に気がついた。男女でチームが分かれていたせいで目に入らなかったのだ。
いつも見学しているはずのナナクサが、防具を身につけ、竹刀を構えていた。練習試合らしい。同級生と向かい合っている。
その様子を珍しく思ってか、彼女の周囲には人だかりができていた。先生すら表情を硬くして彼女を見ているものだから、それを注意する者は誰もいない。
「きえぇい!」
鋭く奇声をあげて先に踏み出したのはナナクサだった。
素早く足裏で地を這い距離を詰める。竹刀を振り上げようとする相手に身体ごとぶつかり、防具が激しい音をたてた。
「アアァァ!」
「っワアアァ」
相手はすっかり腰が引けてしまっている。竹刀を振り上げた上半身が隙だらけだ。正確にそこをねらって、ナナクサは竹刀を突き上げた。
「ヤーッ!」
咆哮が体育館に響き渡る。勝負は一瞬だった。虚を突かれた相手が尻もちをつく。竹刀がその手から離れ、大きな音をたてて床に転がった。
皆ぽかんと口を開け、身じろぎもせず彼女を凝視している。ハギリもその一人だった。
「なんだよ。運動もできるんじゃん」
誰かがぽつりと呟く。それを合図に、催眠術から覚めた観衆達からぱらぱらと拍手が巻き起こった。
防具のせいで表情ははっきり見えなかったが、彼女の動作は誇らしげだった。さっと居住まいを正し、美しく一礼する。
そしてそのまま、膝からがくんと崩れ落ちた。
「えっ」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。試合後はうつぶせに倒れる。それが正式な作法かと疑いかけたほどに。
「ナナクサ!」
最初に動いたのは先生だった。駆け寄って彼女を助け起こし、面を外す。人形のように蒼白な顔が現れて悲鳴が上がった。
「担架を持ってこい! 職員室行って救急車呼べ! あと保健室から」
方々に散っていく、そして彼女の近くに駆け寄る級友らの群れから外れ、ハギリはただ一人、足元に転がった竹刀を眺めていた。
(俺達のとは、デザインが)
拾い上げる。古ぼけたやけに短い竹刀は、だが大事に使われてきたことが素人目にも見て取れるものだった。
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