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「こんな重いカタログ、ありがとうございます」  彼女はカップに手を伸ばす前に、テーブルの上に置かれたカタログに目をやり言った。そして僕に、砂糖やミルクは必要か聞いてから、ちょっと見せてもらいますね、とカタログを自分の近くに引き寄せた。  カタログの表紙は、新しいマンションの広告なのではないかと思われるような、おしゃれな部屋の写真になっている。でもそこに写っているベッドは介護用の電動ベッドだし、部屋の壁にはよく見ると、いたるところに手すりがついている。  彼女はカタログに沿えた手をしばらく動かさず、表紙を見つめたあと、ゆっくりページをめくり始めた。もうその角度になると、彼女がどのページを開いているのか、僕からは見えない。でもカタログの中身はもちろんよく分かっている。表紙と同じように明るい光のなかで、可能な限り美しく撮られた簡易トイレや防水シーツ、入浴支援のリフト、シャワー用車いすなどの写真が並ぶ。そのカタログは、介護というものにつきまとう、生臭く匂いのついた重たい現実を、どれだけ生活というものから切り離された「イメージ」に置き換えられるか勝負している。  僕はカタログを真剣に見つめる彼女の表情と、物の少ないリビングと、カウンター越しに見えるキッチンなどに目を向けながら、紅茶に口をつけた。さっき感じた花の匂いが、もっと凝縮され、口の中から入り込み、鼻の方へ抜けた。 「あの、こちらの価格は、レンタルですか? それとも購入の?」  一度だけ彼女は顔を上げ、そう聞いた。僕は、いつもと同じ説明を繰り返した。 「基本的に、介護保険が効くのはレンタルです。ただ、排泄や入浴など衛生面で使い回しに問題があると認められる用具については購入代金も保険の対象になります」  それから、介護保険が適応になる条件や、限度額、償還を受けるときの手続きの方法などを説明した。ほとんどはごく基本的な情報だったから、きっと彼女も半分以上は聞いたことのあるものだっただろうけれど、彼女は僕のことを真剣に見つめながら相づちを打ち、 「やはり、専門の方に来て頂いて良かったわ」  と、微笑んだ。それから彼女はまたカタログに目を戻した。僕は真剣にカタログを見つめる彼女の横顔に目を向けた。なにかちょっとした違和感のような、不思議さのようなものを僕は感じていた。この仕事を始めて三年ほど経つ。そのあいたに様々な家に行き、たくさんの相談を受け、それに応え、アドバイスをし、器具を販売したり貸し出したりしてきた。多くのご老人・ご病人、そのご家族に会ってきた。彼らは性格も生活もバックグラウンドも、今までの人生も、もちろん全然違っていた。ただそういうものとは違う、もっと抽象的な部分で、とても似ていた。似た空気を出していた。彼女には多分、それがない。  一ページ一ページめくっていたカタログが最後のページになると、彼女は一つ小さく息を吐き、それから閉じた。分厚いカタログは、彼女の丁寧な扱いにもかかわらず、ぱたんと大きな音を立てた。
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