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自分よりは年上だと思う。でも、その人は僕の想像より若く、そして美しかった。だから、どうぞとスリッパを勧められたとき、一瞬だけ家の中にあがることを躊躇した。
スリッパを履いたあと、思いがけずかなりの近距離で見つめてしまったその横顔は繊細だった。きれいに整えられた眉や、ほつれなく一本に後ろでまとめられた髪には清潔感があり、僕の目を引いた。
彼女は僕の視線に気づくと軽く微笑んで、それから一歩、リビングの方に進んだ。
「すみません。散らかっていますけれど」
でも、家のなかは異様なほど片づいていて、女性の言葉だけが意味をなさずにその空間を漂った。
「いえ、気になさらないでください」
僕はいつもと同じ台詞を返した。そのころにはもう、僕は普段と変わらない、ただの営業マンに戻っていた。玄関にある段差は何センチくらいか、リビングの扉の幅はどれくらいか、廊下には手すりがついているか、階段の勾配はどれほどか。不躾で失礼な人、と思われない程度に僕は家の中を見回した。
外観から想像するよりずっと新しい。玄関からリビングにかけての廊下には手すりがついている。ただ電話で、三年前にリフォームをしました、と聞いていたから、驚くことでもない。逆に僕が気になったのは、見た目は新しくなっていても、家には古い一戸建て特有の匂いがまだ残っているということだった。
リビングに入る。
全体的に物の少ない家のようだ。そこには四人でどうにか食事ができるという程度の食卓と、小さめの棚とテレビの載った台以外、目立った家具はない。特別広いリビングでもないが、ソファーやローテーブルがないせいか、広く感じられる。玄関から歩いていったその正面が窓になっているせいかもしれない。
隣は和室のようで、ふすまが閉められている。
「どうぞ、掛けてください」
彼女に言われたとおり僕は座った。システムキッチンが見える、奥の方の席だ。テーブルとフローリングの色は両方とも明るい茶色で、きちんとそろっている。
「紅茶と珈琲と日本茶と……何がいいですか?」
僕は、気を使わないでくださいと断るが、彼女は、じゃあ、私の好きなものでいいですか、と言葉を続ける。僕は頷く。
彼女を待っているあいだ、僕は鞄から分厚いカタログだけ出して置いた。契約書などの書類一式はまだ鞄に残しておいた。
一分も経たないうちにヤカンの鳴る音がして、彼女はカップにお湯を注ぎ始めた。もしかしたら僕が来る時間を見計らって、一度お湯を沸かしておいたのかもしれない。
彼女が選んだのは紅茶だった。優しい足音と共に、甘い花のような匂いが漂ってくる。たしかアールグレイとか、そんな感じの名前のものだ。
「お待たせしました」
彼女はカップを僕に勧め、そのあと、砂糖やミルクやお皿に載せたクッキーを運んでくる。そこでようやく僕の向かいの席に腰を掛ける。
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