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1 一瀬美月、30才誕生日。大失態の夜。【美月】
結婚して子供を育てて、幸せな家庭を……そういうのに憧れていた。
予定では25才で寿退社。だけど、今日で私は――30才。
毎年、忘年会の日が誕生日で今年も上村課長の隣に座ってる。
49才で、奥さんは20年以上前に亡くなってて、男手一つで二人の子供を育てて、再婚の話はあったらしいけど、全部断って今も独身。――全く、どんだけ奥さんの事が好きなの。
本が好きで、電車の中で見かける課長はいつも何かを熱心に読んでて、笑うとすごく可愛い顔になって、側にいくといつもいい匂いがする。
時々自分で作ったお弁当を持って来て、何となく見てたら、「どうぞ」って分けてくれて、きんぴらごぼうがうちのお母さんが作ったのより美味しかった。だから、お世辞でもなんでもなく、素直に「美味しい」って言ったら、それ以来おかずを分けてくれるようになった。
仕事中は厳しい感じの課長だけど、おかずをくれる時は優しい顔してて、そんな課長を見る度に胸がいっぱいで、気づくと同じオフィスにいる課長を目で追うようになっていた。
課長は凄くカッコイイって訳じゃないけど、私の中ではカッコイイ。
身長は160センチの私より15センチぐらい高い。立って話す時の、ちょっと気遣うように視線を下げてくれる課長の表情が凄く好き。
見た目は実年齢より五才ぐらい若く見えて、禿げてないし、白髪がちょっとあるけど、髪もフサフサで、アイロン掛けされたワイシャツもいつも綺麗で、スーツがよく似合う。
課長が来たばかりの時、よれよれの制服のシャツを着ていたら社会人として身だしなみには気をつけなさいって言われた。うるさい人だと思った。でもそれが周囲への気遣いだって今はわかる。苦手なアイロンも出来るようになった。
いつの間にか課長の側にいたいって思うようになった。何かと理由をつけては課長を呼び留めて話をしたり、課の飲み会とか、忘年会では必ず課長の隣に座った。
課長の側にいられて幸せだ。結婚なんてしなくてもいい。寿退社なんてもういい。
でも――そう思えば、思うほど寂しくなる。
だって、だって――課長は全く女として見てくれない。いつだって課長は上司で、年上の人で、お酒が入っても、変わらない。
これ以上、どう課長との距離を縮めたらいいのか。
恋愛経験がほとんどない私は、酔った勢いで何かをするとかって事はできない。課長が引いてる線をいつまでも飛び越えられない。このままずっと部下で、部下で、部下で……。
「一瀬君、ついたよ」
上村課長の声でハッとした。
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