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 ラバストはないよ。  内田しおりの口調は、平生通りやや強めだった。背負っているリュックを机に立てて置いた。チャックを開けて水筒を取り出す。えっ、嘘じゃん。てっきり予約限定、間に合ったと思ってたけど。机を挟んで向かいに立つ尾国彩子が目を丸くして言うと、いや、お兄ちゃんが本体買ってくれるのちょっと遅かったから。買ってくれただけでありがたかったけど。たんたんと事実を告げる口に水筒をつける。えー、でも元の原因ってさ、内田なんでしょ? 不満がにじみ出ている問いに、まあ。でも投げたのはお父さんだから、お父さんのせいだよ。双子の兄を擁護して、水筒のふたを閉めた。  昨日、「Life Limit World Collection」、通称「LL」の発売日だった。「LL」は「World Collection」略して「ワルコレ」シリーズ第三弾にあたる。三年前に発売された第一弾で舞台となった架空の場所とキャラクターを引き継ぎ、パラレルワールド式に第二弾、第三弾と発売されている、恋愛シミュレーションゲーム。いわゆる、乙女ゲームだ。業界内では早くも主力作品の一つとして数えられることが多い。  場所と時期が同じなのでパラレルワールド式と呼ばれているが、世界観やキャラクターの役回りは毎度かなり変化する。まずジャンルから違う。異世界魔法ファンタジー、探偵もののミステリーときて、今回はSFだ。さらに「LL」発売日に公表された最新情報によれば、第四弾は武士がいまだに存在する世界。戦国時代を現代まで引き継いだという設定で制作が進められている。パラレルワールド式と呼ぶにはそろそろ限界がきているのだろう。  毎度「ワルコレ」は予約限定生産版には何かしらの特典を設けている。それぞれの作品で主人公の女の子――プレイヤーがなりきれる主人公の女の子と最初に出会う攻略対象の中でも主要キャラクターのラバーストラップだ。疑似恋愛ができるキャラクターの中でも主人公枠は存在する。「ワルコレ」シリーズの場合、最初に出会うキャラクターが、それだ。今回はしおりが一番好きな人物だった。だからもちろん、予約をして確実に手にいれる算段であった。  しかし、肝心のゲーム機本体が壊れてしまった。父親が酔った際に床へたたきつけたのだ。しおりの父親は普段、ひどい酔い方はしない。酒に弱いと自負しているので、加減する。その後双子の兄、幸助がその場にいたのだという話を聞いたとき、妹は父の行動を理解した。幸助は家族の反対を押し切って、大学受験をはなから放棄するつもりでいる。  父のせいとはいえ、娘はゲーム機をせがむことができなかった。兄の反抗的な態度は両親の反感を買い、家庭環境を悪化させている。触らぬ神にたたりなし。おとなしくしていることが身の安全であると、自覚するほどではないが感覚でもって察していた。だからといって、手持ちの財産ではカセットと本体の両方を一度に買うことはできない。新作の発売に備えて一年間、毎日のこづかいを切り詰めた結果がカセット代と少々だ。正月にはお年玉があるが、今は五月。まだ半年以上先のこと。他に収入を求めようとも、若草高校は生徒のアルバイトを原則禁止していた。  手元にあるのにできないのは、手に入らなくてできないよりもつらい。予約をするのは辞めた。  だが機械が壊されてから二ヶ月ほどあとのこと。朝起きると、勉強机にラッピングされた長方形の箱が乗っていた。悪い、遅くなった。机上にはふせんが貼られている。兄の字だった。赤い包み紙をはがすと出てきたのは家庭用携帯ゲーム機「PFP」の箱。しかも二つ目のPの右肩に小さく「+」が乗っている。「PFP+」。最近出た新型モデルのライトピンクだ。幸助は長期休暇がくると、学校にはアルバイト許可の申請をせずに勝手に他県でアルバイトをしていた。若草高校はアルバイト禁止な上に、両親は市立図書館に行っていると思い込んでいる。  これでゲームができる、と意気込んだはよいが、今度は予約期間が終了していた。
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