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第一話「社畜は眠れない」
――今日もようやく、一日が終わった。
いつものように自分の仕事をこなしつつ、一時間ごとの課長のパワハラ発言に耐えつつ、突発的な同僚や後輩からのヘルプコールに応えつつ、課長の「このホームページ見てたらパソコンが動かなくなったんだが」という「テメエでなんとかしろ!」案件に無言で対応しつつ、当たり前のように残業をこなしつつ……と馬車馬のように働いていたら、いつの間にか終電間近だった。
慌てて作業中のプロジェクトファイルを保存し、PCをシャットダウン。社内に誰も残っていない事を確認した上で、最早習慣と化した「最終退出」の手順を踏み、オフィスの施錠やらセキュリティチェックやらを終え、駅に急ぐ。
ギリギリで終電に乗り込み、ようやく一息つく始末……。
死んだ魚のような目をしたご同類の群れと共に、電車に揺られる。何人かがこちらに奇異の視線を向けてくるが、いつも通り気にしない。ま、俺のみてくれじゃあ、どうしたって目立つだろう。
本当ならば少しでも眠りたいところだったが、寝過ごすと地の果て程に遠い終点まで運ばれかねないので、うつらうつらしながらも寝ないで踏ん張る。
おおよそ一時間後、ようやく地元駅に着いた頃には、時刻は午前一時を余裕で回っていた。
以前はここから更に三十分ほどかけて帰宅していたのだが、流石に辛くなってきたので、今は駅からほど近いマンションに引っ越していた。
友人達からは「駅チカマンションなんて、稼いでるねぇ」と嫌味を言われたが、バーローこちとら金を使う隙がないほど忙しいんじゃい!
「ただいま」
一人暮らしなので、当然の如く誰の返事もない。分かりきった事なのに、帰宅するなり「ただいま」と言ってしまうのは、子供の頃からの習慣だからだろうか?
返事があったらホラー案件だが、無いなら無いで少し寂しく感じてしまう。なら、そもそも言わなきゃいいのだが、この癖だけはどうしても抜けなかった。
――さて、このままシャワーを浴びてさっぱりしてから眠りたいところだが……残念ながら、もう眠気が限界だった。
かなり汗をかいているので臭いも気になるが、今日はもうこのまま寝てしまおうと、寝室に向かう。
疲れた体に鞭打ち四苦八苦しながらスーツを脱ぐ。肌着とパンツだけの姿になると、気が抜けてしまったのか、そのまま上半身からベッドに崩れ落ちてしまった。
下半身がベッドの外にずり落ちているので、腕の力だけでそれを引き上げる。
どうにかこうにか全身をベッドに横たえると、今日一番の睡魔が襲ってきたので、それに身を委ねる事にした。
目を閉じると、一瞬にして意識に黒い幕が下りた。
おやすみなさい。せめて、良い夢を――。
――。
――。
――ん?
スッと眠りに入ったはずなのに、何故だか意識がある。
夢でも見ているのだろうか? とも思ったが、何だか夢という感覚とも違う。
そんな違和感に戸惑っていると、暗かった視界が急速に明るくなっていった。まだまぶたも開いていないのに……?
『えっ……?』
急速に開けた視界――そこに広がっている光景に、思わず声を上げていた。
そこは、今まで見たこともないような場所だった。
壁も天井も白い大理石のような材質で作られた、広い部屋だ。四方を壁に塞がれており、俺の視線の先に見える、大きな鉄扉だけが唯一の出入り口らしい。
やけに薄暗いが、それもそのはず。この部屋の照明は、壁にぐるりと設置されたキャンドルスタンドの上で揺らめく、ロウソクの灯りだけだった。
それにしても、やはり夢にしては質感がリアル過ぎる。揺らめく蝋燭の炎や、それに照らされて鈍く輝く壁や床の輝きなんか、とても夢とは思えない生々しさを感じる。
――等と思った所でようやく気が付いたのだが、そう言えばやけに視点が高い気がする。普段の数倍は高いように感じる。二本の脚で立っているにしても、ちょっと高すぎやしないだろうか?
そう思い、ふと足元を見て、俺は再び驚きの声を上げてしまっていた。
『な、なんじゃこりゃ!?』
そこにあったのは二本の脚――なのだが、もちろんただの脚ならばここまで驚かない。
俺の脚は、西洋騎士の鎧か、はたまた大昔のマンガのロボットのような金属製の脚になっていたのだ。
もしやと思い、手を見てみると、こちらも無骨な金属の塊と化していた。しかも指すら無い、巨大なペンチのような形のそれに……。
夢だと分かっていても、やけにリアルな感覚が俺を混乱させていた。
見える範囲で確認した所、俺の全身は「鉄人」とでも呼ぶにふさわしい、原始的なロボットのような姿に変わってしまっているらしい。
手や顔を動かす度に、金属同士が擦れ合うギィギィという不快な音が立ち、それがまた夢らしからぬリアルな感覚を俺に与えていた。
脚の方は、何かの力で地面に固定されているらしく、全く動きそうにない。
夢が覚める気配は欠片もない。さて、どうしたものかと思案していると、目の前の鉄扉が鈍い音を立てて開き始め――。
「ようこそ、異世界の騎士殿。中々目を覚まさぬので、心配していました」
扉の向こうから現れたのは、長い黒髪が目を引く女性だった。年の頃は、三十はとうに超えているだろうか? 少なくとも俺よりは上に見えたが、切れ長の目をしたかなりの美人だ。
日本語を話しているように聞こえるが、彫りの深い顔立ちは一見して日本人ではない事を窺わせた。
服装は、一枚布を体に巻きつけてピンかなにかで留めているだけ、というシンプルなもので、映画やら絵画やらで見た古代ギリシャ人だかローマ人だかを連想させた。
なんというか、物凄いセクシーなんだが……これが俺の夢だという事を考えると、もしかして俺にはこの手の服装に対するフェティシズムがあったのか?
「夢、ではありませんよ?」
『――え?』
まるで俺の思考を読んだかのような女性の言葉に、三度目の驚きの声を上げる――そう言えば、「鉄人」になっているからか、声もさっきから変だな。安物のスピーカーから出る音みたいに、変にくぐもっている。
「私、この神殿の巫女を務めますマリアムと申します。突然の事で驚かれているとは思いますが、まずは私の話を聞いていただけないでしょうか?」
そう言って、こちらにすがるような視線を向けてくるマリアム。
夢の中とは思えぬほど、彼女の必死さが伝わってくる、そんな目をしていた。
――我が夢ながら、先が気になる展開だ。せっかくだから、もう少し付き合ってみよう。
「ギギギ」と音を立てながら俺が頷いてみせると、彼女の表情は一気に明るくなった。
――そしてマリアムは語りだした。彼女達が置かれた状況と、俺が置かれた状況とを。
***
マリアムの話を要約すると、概ねこんな感じだ。
平和だった彼女達の街に、正体不明の敵「異邦人」が現れ襲い掛かってきた。
一度目の襲撃では、為す術もなく城壁を越えられ、街を蹂躙された。多数の犠牲者が出たらしい。
二度目の襲撃では「異邦人」との対話を試みるも、失敗。剣や槍、弓矢で応戦するも全く効果がなく、城壁外の部隊は全滅し、「異邦人」はそのままいずこかへ去っていったという。
今のところ、「異邦人」の襲撃頻度に周期や傾向は見付かっておらず、次の襲撃があるかも分からない。だが、更なる襲撃があれば、街が滅びかねない。
知恵者達は、今こそ街の守護神「巨兵」を目覚めさせ、「異邦人」を討つべきだと主張し、多くの者がそれに同意したのだという。
だが、巨兵を動かすには、異世界の戦士の魂を召喚する必要があった。
そこで巫女たるマリアムが、三日三晩祈りを捧げた結果、つい先程「異世界の戦士の魂」――つまり俺の精神が召喚された、という事らしい。
「騎士」というのは、巨兵――つまり今の俺の体を動かす魂に与えられる尊称なのだとか……。
しかし、なんで「異世界の戦士」で俺が召喚されるんだろう?
もしかして「企業戦士」という死語とかけたダジャレだろうか? 我が夢ながら、ギャグのセンスがない。
「騎士殿、どうか……どうか我々をお助け下さい!」
再びのマリアムのすがるような視線に、心が動く。
……というか、いい加減これが夢だとは思えなくなってきた。
美女のお願いを断るのも俺の信条に反するし、ここは一丁やってやるか!
『戦いに自信はないけど……俺で良ければ、街を守るのを手伝おう』
「ああ……っ! ありがとうございます!」
――思えば、この時の俺は日々の労働やら寝不足やら、リアル過ぎる「異世界」の情景やらのせいで、どこかハイになっていたんだと思う。
全く、考えなしに安請け合いしたもんだ。
まさか、これが長い長い、俺の不眠の日々の始まりになるだなんて、この時は思いもしなかった。
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