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プロローグ
気がつくと僕は、見知らぬ路地で身を横たえていた。
石畳の続く道だ。朧にかすむ目を上げれば、ガス灯と思しき街灯が並んでいる。道の左右に連なっているのは、これまた見覚えのない煉瓦造りの建物。腕のいいカメラマンが撮影して、インスタにでも投稿すれば、さぞかしたくさんの「いいね!」が稼げるだろう。が──今はダメだ。写真を撮るには暗すぎたし、おまけに雨が降っている。
辺りの暗さから察するに、時間帯は夜なのだろう。正確な時間が知りたくて、制服のワイシャツの胸ポケットを探ってみる。だけど、そこにあるはずのスマートフォンはなかった。さらに悪いことには、胸ポケットそのものが失せていた。よくよく我が身を観察してみると、僕が着ていたのは白いローブだった。つくりは粗末だけれど、コスプレとしては上出来な方だろう。いったいいつの間に自分がそんなものを着るハメになったのか、思い出そうとすると頭がひどく痛んだ。これなら素っ裸でいた方がまだマシだったかもしれない。全裸だったならば、自分を無理やりこう納得させることができただろうから──僕は人さらいに身ぐるみ剥がされた挙句、この路地に捨てられたのだ。
オーケー、状況を整理してみよう。
僕の名前は? 木佐元嶺士。よし。所属は? 都立谷保高校の二年一組。よし。彼女は? 現状いない。よくはないけど、よし。ここに来るまでの間、何をしていた? そもそもここはどこなんだ? ……ダメだ、全く思い出せない。
見知らぬ土地で、買った覚えのない(そもそも愛用しているGAPやライトオンは、こんな服を扱ってなかったはずだ)服を着て、傘も持たずに横たわっている。はっきり言って状況は最悪だった。おまけにタチの悪い風邪を引いてしまったのか、身を起こそうとするだけで身体の節々が抗議の軋みを上げた。自分がまるで錆びついたロボットにでもなってしまったような塩梅だった。
しばらくぼうっと考えた末に、僕は今目の当たりにしているこの世界は夢だと結論づけた。
そうだ、これは熱がもたらす悪夢だ。そうに決まってる。それが証拠に、目と鼻の先の大通りを、馬車が走っているではないか。海外ならばいざ知らず、日本の公道を馬車が走るだなんてちょっと考えられないし、おまけに馬車を引いている生き物たるや、まるで鳥とトカゲのあいのこみたいな足をしている。あんな足を持っている生物が、この地上に存在するはずがない。
それから、今僕の方に向かってくる、二人組の男。あの二人も僕と同じに、ローブなんかを着ている。あの二人が警察官ならばそんなふざけた服を着て職務にあたるはずがないし、暴漢ならばもう少し動きやすい格好をしていて然るべきだ。だからこれは現実なんかじゃない。現実の僕は、きっと自室のベッドの上にいるんだ。そして目を覚ますと、母が体温計とポカリスエットのペットボトルを携えて、具合はどうかを訊いてくれるんだ。そうに決まってる。そうに決まってる。
……だが、残念ながら。
これはもちろん、夢などではなかった。
奇怪な足をした生き物は実在していたし、二人組の男は地元警察の少年課だった。
二人組によって保護された僕は、聞き取りに次ぐ聞き取り、わけのわからない検査に次ぐ検査の末に、「身元不明の記憶喪失少年」として、あろうことか船に乗せられてしまった。目を覚ました当初は知る由もなかったが、僕が倒れていた場所は港だったのである。
船の名前は、「第三聖ノア学園丸」。つまりはこの船そのものが学校施設というわけである。
かくして僕の、宛てのない長いながい船旅は始まったのだ。
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