第一章

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「やあ、ユーリ。ここが女子禁制の聖域と知っての狼藉かな」  僕のそんなツッコミに、同級生の女子は肩をすくめてみせただけだった。  閉鎖的な環境では間違いが‪──‬どういう類の間違いかは、ここでつまびらかに書かずとも察しがつくだろう‪──‬起こりやすいためだろう。生徒が異性の寮区画へ出入りすることは固く禁じられているのだが、彼女はしばしばこの御法度を無視する。あるいはそれは、性別という生まれついての“牢獄”への彼女なりのささやかな抵抗かもしれないし、あるいは単に奔放なだけかもしれない。  ユーリア・フォン・エスタロッテ。通称ユーリ。少しウェーブのかかった黄金色の髪に、青い瞳がチャーミングな同級生。長い船上の暮らしにもかかわらず、そのむき出しの腕やうなじには、日焼けの痕跡は少しも認められない。なんというか‪──‬こんな表現を本人の前で絶対に口に出すわけにはいかないのだけど‪──‬雪のような白さである。 「昨日の実技演習、またサボったでしょ。トーマがえらい剣幕で怒ってたわ」 「ああ、まぁね。お願いだから、あいつの話題を僕の前で出すのはやめてくれ。オーケー?」 「またまた、そんなこと言って。あの人はあなたのことを買っているんだから、少しは応えてあげなさいな」 「だからそれが迷惑だってのに、君もあいつもわからないよな」 「ともかく、はいこれ」  そう言うと、ユーリは前日配布された演習用教材を僕に渡した。教材に使われている紙は元いた世界の一般的なコピー用紙とは異なり、ごわごわした手触りの、はっきり言って粗悪なしろものだ。 「どうも」 「それから、これも。数術のクラスに忘れていったでしょ」彼女は僕の手に、教師への質問用のカードを押し付けた。「ちゃんとボックスに投函しないと、成績つかなくなっちゃうよ」 「へ、感謝します」 「あと、校外学習の行動計画表。今日が提出締め切りだから、必ず出しておくのよ」 「あれかぁ」僕はめいっぱいに渋面を作った。「いいよ、僕は船に残るから」 「ダメよ、そんなの。せっかくの寄港日なんだから、うんと楽しまなくっちゃ。いい? 絶対の絶対に出してよ? あなたがちゃんと提出したか、後でドルトン先生に確認しに行くからね?」 「はーいはい。じゃ、僕はそろそろ行くよ。こんなとこを誰かに見られたら、君も僕も怒られちまう」 「ちょっと待って」  彼女はそう言うと、顔の前で手を広げ、そこに火の玉を生じさせた。  まるでミニチュアの太陽のような、オレンジ色の火球。彼女はそれをめがけて、まるで誕生日ケーキのろうそくを吹き消すように、優しく息を吹いた。すると、次の瞬間、あたたかなつむじ風があたりを舞った。風は吊りランプの火を激しく踊らせ、彼女のローブの裾をふわりと舞わせ、そして僕の髪をサッとひと撫でした。見えざる手に撫でられた髪は、あっという間に乾いてしまった。 「ありがとう」  僕は礼を言った。ユーリお得意の、火の魔法と風の魔法の複合技。こんな風にうまく扱えば、ドライヤーがわりにもなるのだ。  そう、にわかには信じられない話だが。  この世界には、魔法が存在するのである。
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