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たった一つの好きを
「最近ぼんやりしてないか?」
藤木の言葉にそんなことないよと返せなかった。
アイスだったのをホットに変えるくらい、藤木とのお茶デートは回数を重ねていた。
「そういえば、残りいくらになった?」
「あぁ、ちょっと待って。ほら」
藤木が見せてくれたアプリに記された金額はあと三回ほどでこのお茶デートが終わりを告げそうなほど。
それがなくなったら藤木に話したいことがあると私は言った。
それを言った時は確かに伝えたい気持ちがあったのに。
社食で榊とランチをとっていた時。
受付嬢に声をかけられた。
社長の姪っ子のあのアイドルのように可愛い子。
「森田さんですよね」
「はい?」
「ここ、失礼します」
有無を言わさず榊の隣の席に腰を降ろした彼女は私を真っ直ぐに見据える。
「何の用ですか」
榊が警戒心を顕に彼女に問うと、彼女は見惚れるほどの微笑みを浮かべ、
「私が用があるのは森田さんだけです」
と、きっぱりと言った。
ああそう、とだけ言った榊が私の隣の席に移る。
もうこの空気が怖い。
「何でしょうか…」
「藤木さんにちょっかいを出すのをやめていただきたいんです」
「はあ!?」
私ではない、榊が声を荒げた。
「藤木さんと丹羽さん、どちらにもいい顔をされているそうじゃないですか。丹羽さんに本気の方も多いそうですが、そちらはどうでもいいんです。藤木さんをやめて丹羽さんにしてください」
初めて間近で見たアイドルのような彼女はやっぱりとても可愛いかった。
多くの男性社員が夢中になるのも頷ける。
「あのね、アイドルさん。どっちかというと、ちょっかいをだしているのは藤木であり丹羽くんであって、森田からじゃないの」
「どちらでも同じです。お二人にいい顔している事実は変わらないでしょう?」
榊が舌打ちをした。
だから、怖いから。
「あなた、藤木に振られたんでしょ?まだ諦めてないの?」
「振られてません。良く知らないからと言われただけです。だから、良く知って貰っている最中です」
振られてるじゃんね、と隠すつもりもなく発した榊の声は彼女の顔を強張らせるには充分で、大きなガラス玉のような目が吊り上がる。
「部外者は黙ってて下さい!私が話しているのは森田さんです!」
「はいはい、すみませんねぇ」
そう言った榊を一度じろりと睨んでから、彼女は私をほぼ睨むように視線を向ける。
「私には藤木さんだけです!いい加減な態度で藤木さんを振り回すのはやめて下さい!」
まだ吊り上がったままの大きな目が水の膜に揺れた。
本当に好きなんだな…
普段の彼女を知らないけど、振り絞るほどの勇気を持ってきたのかも。
「藤木とは…ここにいる榊もそうだけど、同僚で友人なの。いい顔して振り回してるように見えたのならごめんなさい…」
「藤木さんは好きな人がいると言ってました。森田さんではないんですか」
「えっ!」
榊がまた私より先に声を上げた。
「……藤木から好きだって言われたことはないです」
私の答えに彼女がそっと息を吐いた。
もしかしたら、と何度か思ったことはあった。
身体を重ねた夜から藤木がふと身体に触れることが多くなった。
榊も一緒に飲みに行ったり食事に行ったりする頻度は変わらなかったけど、榊にもわからないようにお茶デートのお誘いはたくさんしてくれていた。
二人きりでのお茶デートで藤木は前よりたくさん話してくれるようになっていたし、次の約束を毎回しようとしてくれた。
ラインでのおはようやおやすみがくるようになったのもあの夜からこれまで、休みの日だって一日も止まっていない。
もしかしたら藤木から好きだと言ってくれるのかもと期待している自分もいた。
でも、藤木からそんな言葉は貰えていない。
やっぱり私は同僚で気の合う飲み友達止まりなのかな…
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