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「乾杯!」
オレたちはチープなお酒をキンキンに冷えたコップに入れて杯を交わした。お酒を飲みほして周りに目をやるとほとんど荷物がない。
素っ気なく色のない部屋で、淡いパステルカラーで彩られるのは、オレたちが飲んでいるお酒くらいなものなんだと改めて思う。
オレたちが今一緒に飲んでいるのは、生田舞花の部屋だ。舞花は一ヵ月後結婚式を挙げることになり、新しく旦那になる人と同棲をするため、この部屋を引き払うことになっていた。
その引越しの手伝いを頼まれたオレはすることが特になかったため、二つ返事で承諾。ありふれた一日を返上して、彼女の手伝いをすることになった。
片付けといっても舞花は荷物が多いほうではなかったため、すんなり片付けが進んでいった。だから、腕や腰に鉛のような気だるさや疲労は感じない。
オレと彼女は思っていたよりもスムーズに部屋を片付けることができたためか、普段より酒が進んでいった。だんだん口が滑らかになっていくのが分かる。そのせいか、一番最初に聞いておきたかったことが自然と口から出た。
「なんで、オレに引っ越しの手伝いを頼んだの?」
舞花は初めに驚いたような顔をしていたが、男受けしそうな安っぽい笑みを浮かべた。その顔を嫌というほど見てきたオレには、何も感じない。
「前に手伝ったからそのお返しをしてもらおうと思って」
「なるほど」
オレはぽんっと景気よく手を打った。
それは昔オレが大学を卒業して、部屋を引き払う時に荷造りの手伝いを仲が良かった舞花に頼んだ。たぶんそのことを言っているのだ。
不器用だったオレはちまちました作業が苦手だったため、手先が器用な舞花に手伝ってもらえて大変助かった思い出がある。ちなみにオレの手先はいまだに不器用だ。
その時はその時でお礼はしたはずだがまあいい。結婚するというめでたい昔の友達が頼みごとをしてくるのだ、断るというのもおかしな話だろう。
それにしても旦那には申し訳ないなと心のどこかで思う。これから生涯を共にしていく伴侶が、どこの馬の骨と知れぬやつと2人で酒を酌み交わしているのだ。しかし、一緒に飲んでいる舞花はそんなことを思う女ではない。全く、旦那がかわいそうだ。
「誰とでもは飲まないよ。キミくんとだから飲んでるんだよ」
少しうるんだ瞳をした彼女がそういったとき、オレはドキッとした。
知らず知らずのうちに口に出していたのか?しかしそんなになるまでは飲んでいない。それともこれが歳ってやつなのか?まだに二十六だぞ。
そんな狼狽しきったオレを見て舞花は嬉々とした表情でからかった。
「慌てすぎ(笑)俺と飲んでていいのかなって、考えてる顔してたよ!そんなことを顔に書いてあった(笑)」
やられた。前まではそうやってからかうのはオレのほうって決まってたのに、どこかで立場が入れ替わってたみたいだ。
オレはその時の少し怒った彼女の顔が好きだったが最近はそんな彼女の顔は見ていない。ただお互いに就職して忙しくなって会う機会が減ったというだけなんだろう。
けれど本当は、舞花に長年付き合っている彼氏がいて、オレはそいつにどこか引け目を感じて身を徐々に引いていった、というのが正しい見解なのかもしれない。その彼氏と結婚するのだから身を引いたオレは正しいはずだ。
舞花は自分の推理が当たっていて、なおかつオレの慌てふためいた様子を見て気分が良くなったからだろう。饒舌に話していく。反対にオレは核心を突かれて気分が悪くなり、口数が減っていくのが分かる。
「私の旦那になる人はいい人だよ!優しいし、好きだって言ってくれるし、何より私の安全を保証してくれるんだ」
お前、大学時代から言ってる事変わんないぞ?それに安全ってなんだよ、日本に住んでる以上他の国にいるより安全だよ。
オレの心の中で不満が溜まっていく。不満とは裏腹に酔いが冷めていくのがわかる。
「それにこれからは一ノ瀬舞花になるんだよ!かっこよくなるんだ」
文字数増えてるじゃないか、今までの方がしっくりくるからいいよ。
どんどん彼女の声が耳障りになってくる。
「ちゃんと彼のこと大好きなんだ〜」
「五月蝿い」
大きな声で言ったわけではなかったが舞花に伝わったようだ、キョトンとした顔をしている。その顔を見てハッとしたオレの顔はさぞかし滑稽だっただろう。
「あーそうだ、アイスを食べよう!お酒と一緒に買ってきたやつ!取ってくるよ」
いたたまれなさからどうにかこの場を離れる口実を作り、冷凍庫の中から申し訳なさそうに身を寄せ合う二つしかないアイスを取り出す。
落ち着け、昔も今も舞花変わってないだろ。核心めいたことを聞こうとしてもすぐに煙に巻いて話をそらすところも、上手くいくと調子に乗るところも、状況が悪くなると笑って誤魔化すところも何も、変わっていない。
オレも今まで通り変わらなくていいんだ。あえて意地悪な問い掛けをして、調子に乗っらせて祭り上げて、笑って誤魔化すことを許してしまう、そんなことを相変わらず続けていけばいいんだ。
息を吸って吐くように、右足を出したら左手を出すように自然にしてしまえばいい。
「よし、大丈夫」
そうして部屋に戻るとさっきまで舞花が座っていたところに幼女が座っていた。次はなんの冗談だか、そう思い周りを見渡すが舞花の姿はない。
探せど探せど舞花はいない。いるのは舞花によく似た幼女だけだ。
「こんにちは!お名前はなんていうんですか?」
仕方が無いので幼女に話しかける。こんなセリフ舞花に聞かれたら恥ずかしくて顔から火が出るだろう。しかし、オレはこの子に興味があった。
柔らかそうなほっぺた、サラサラな髪、など似ているところが沢山ある。
中でも一番よく似ていたのは冷めた目だった。この世の中には期待しないような冷たい目。舞花に惹かれる一番の理由。
舞花(仮)は右手を上げて元気に言い放った。
「いくた まいかです!ももぐみ、5さいです!」
ぐはっ、幼女ってこんなに可愛いんですか?天使降臨ってことでいいんですか?ってかさっきから口調がおかしくなってませんか?
落ちつけ久世原 君彦。相手は年端もいかない女の子だぞ。大の大人が落ち着かんでどうする!もう二十六だろうが!
「よく出来ました!おじさんは君彦っていうんだ!よろしくね」
何とか大人の威厳は保てた。危ないところだった。
しかしどうやらこの子は舞花本人らしい。ただ幼くなっただけだ。
幼い頃の舞花を見てみたいと思ったことがあったがこんな形で見ることができるとは思っていなかった。
善行は積んで、長生きはするものだ。
「おじさんは怖い人?」
「おじっ」
もうそんなことを言われるような歳になったのか、と膝に来るダメージを覚えた。だがよくよく思うと、さっき自分でおじさんと名乗っていたからそういったのだ、と自分に言い聞かせる。
「そんなことないよ!そうだ、まいかちゃんが大人になってからの話をしてあげよう!」
「え!まいかおとなになれるの?すごい!」
まいか(幼女)からの信頼を得るために、大人になってからの舞花の話をしようとしたら意外と受けがよかった。
この頃の子どもって大人になれるのが当たり前で、そんなことには疑問すら感じないんじゃないか思っていた。しかし、いつも舞花が「安全であればいいよ」って言っていたことを思えば、これくらい小さい頃から色々と苦悩があったのだろう。
それからオレは舞花の知ってること色々教えてあげた。まいか(幼女)はそれを楽しそうに聞いていた。
中でも身長が小さいままってことには異常に興味を示していた。
「まいかはね、はやくおおきくなってママのおてつだいするの!そしたらママもほめてくれるよね?」
「うん!いっぱい褒めてくれるよ!」
「そしたらもうおこらないよね?いたいこともしないよね?」
「…」
さっきまで嬉々として話していたのに、急に強ばった顔をし始めて涙をこぼし始めた。
小さい一粒一粒の涙がオレの想像に及ばないほどの重さであると感じる。
舞花が何も言わないのは、そういう事だったのだ。舞花はオレが両親の話を聞くと、いつも話を濁して答えようとしない。しつこく聞いても絶対に何も言わなかった舞花に、オレはいつも不満を言っていた。
しかし、舞花のその話を聞いた時に何も言えなかった。オレには聞く資格のない事のように思えた。両親になに不自由なく育てられ、両親に対して子どもじみた不満しかないようなオレには。
不安そうなまいか(幼女)を見てオレはハッとして言葉を絞り出した。
「大丈夫、怒られなくなるよ!それに怒られてもおじさんが守ってあげる!」
キリッとした顔で放ったセリフは、我ながら気持ち悪いものだ。しかし、まいか(幼女)は目をキラキラさせていた。
「ほんと?」
その目に浄化されそうになるが耐える。耐え忍んで言葉を紡ぐ。
「本当だよ!」
「おじさんがしあわせにしてくれるの?」
「当たり前だ!おじさんが幸せにしてあげる!」
「やったー」
純粋無垢な笑顔って、こういうのを指すんだろうな。最近はあまりに私欲にまみれた顔しかみていないためか、久しぶりにオレ自身も幸せな気持ちになった。
もう大人の舞花には婚約者がいるが嘘も方便だろう。あまり面識のない婚約者に頑張ってもらいたい。
「きみひこおじさん!」
「なにかな?」
さっきとはまるで違う生き生きとした目で訴えかけるまいか(幼女)に、オレは柔らかい眼差しで返した。
「これあげる!わたしのたからものあげるから、わたしのいちばんほしいものちょうだい!」
「え?一番欲しいもの?」
渡されたのは一輪のシロツメクサ。
「この花言葉は…」
言葉を向けた先には幼女のまいかではなく、オレのよく知る舞花が一定のリズムで寝息をたてていた。
オレは夢にまでみた舞花の小さい頃の姿を見て、舞花の過去を知って、舞花の笑顔を見れた。ほんのわずかな時間で色々なことが起きすぎた。
楽しすぎた一夜限りの夢。夢ならポツポツと忘れられて、最後は全て綺麗に消えてしまうのかもしれない。
だけどオレは絶対に忘れない。絶対がこの世界のどこかにはあるのだと証明したい。
自分に酔い切ったオレは、安心しきった顔で寝ている彼女を見ると、自然と本音が顔を出す。
「1番欲しいもの、違うじゃないか」
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