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 のっぴきならない事態へと陥り込んだことに、多分に遅まきながら気付くのであった。  2018年12月31日、午後9時。  そろそろ年の瀬が押し寄せてくる、正にのその時。裸電球ひとつの薄明りの物置部屋にて。  真顔で固まる久我(クガ) 学途(ガクト)、39歳なのであった。 ▽  事の起こりは、1時間ほど前に遡る。    年末年始は、東京は下丸子の実家で過ごすのが習わしである久我家は、本年は大晦日に出発という慌ただしいスケジュールなのであった。さらに久我は間の悪いクレーム対応に追われ、実に本日の午後6時過ぎまで本社に詰めていなけらばならないという、ここ一年の締めくくりのようなアンラッキー気質をこれでもかと発揮していたため、先に家族を向かわせている状況である。  妻と二人の息子は案外すんなりと久我を置いて先発していった。佳苗は久我よりも下丸子の義父母に好かれており、実家でもリラックスしつつ初売りなどに軽やかに出掛けていったりと自由であり、小四・小一の二人の息子たちはSwitch三昧できる環境に早くも心奪われている。  最近では割と家族からないがしろ気味の久我なのであった。休日は疲れの余り何もせずゴロゴロしていることも多くなり、妻が息子たちを連れてどこか外出するのを、力無く見送るのが常態となっている。それでも行動力がほとんど欠如している久我は、一抹の寂しさを感じつつも、独りの気楽さも味わったりしていたりするのであった。  話を戻す。  最後の最後までの厄介事を収めての帰宅は、午後7時。しかし買って来たスーパーの天ぷらそばをひとりで二人前たいらげた彼には、まだ重要な仕事が残っていた。  大掃除の仕上げである。  キッチン、リビング、風呂、トイレ、その他共用部分の清掃は前日までに妻と済ませておいたものの、最後に残った久我の聖域、物置として使っている四畳間の整理を本年中に行うことを、佳苗からきつく厳命されていたのであった。  北向きの嵌め殺しの小さな窓のみの、今時珍しい裸電球がぶら下がった、変わった小部屋である。そこで生活出来なくもないが、まあ物置以外の用途はあまり考え付かない。  久我の趣味のものである小説や漫画、その他、使わなくなったゲーム機、クレーンゲームで取ってはみたものの使い道にも捨てるのも迷う巨大なぬいぐるみ達、スーツケース、子供服などが雑多に詰め込まれているその部屋は、ここ何年か手付かずであり、確かに整理の必要はあるだろうと思わせる佇まいなのであった。  そして久我の高尚かつ希少な分野について深く掘り下げた書籍・DVDの類もその部屋の至る所に隠し込まれているのであって、それらの露見を恐れて自らその掃除当番を買って出たのが数日前。  家族のいない内にそれらの整理・処分が出来る、と久我はこの選択に確たる満足を覚えていたものの、それが完全に裏目に出たのが整理開始の早くも30分ほどの辺りなのであった。  入口付近にあった、胸の高さほどのスチールラックをとりあえず小部屋の外に運び出し、廊下に一時保留していたのが間違いだった。  激しい音と共に、結構な衝撃が、小部屋の中の久我まで届く。ああー、やっちまった、廊下に傷でもついてたりしたらまた叱られるぞ……とまだこの段階ではそんな呑気な心配をしていた久我なのであった。 「あれ、開かない」  のっぴきならない状態になるほど、ひとり言が加速度的に増える久我。本件もその不穏さを肌で感じ取ったのか、飛び出すのはそんな至極当たり前のことなのであった。  廊下に向かって開く扉。それを内側から押し開けようとしている久我だが、2cmくらい開きかけはするものの、そこから何かにぶつかる手ごたえを感じ、それ以上は動かない。  スチールラックであった。廊下で倒れ込んだそれは、奇しくも廊下の幅とほぼ同じの横幅であり、それが扉の前に嵌まり込むようにして横倒しになってしまったのだった。ラックに乗せてあった諸々の荷物は運び出す時に降ろしていたので、ラック自体の重さは大したことは無かったものの、倒れた時の勢いと自重を足して、廊下にぎちりとつっかえ棒のように固定されてしまっている。ラック自体にわずかな弾性があることも、嵌まり具合に拍車をかけることとなっているのであった。 指一本が通るくらいの隙間しかない室内からそれをどかすことは、ほぼ不可能と思われる。久我も針金ハンガーを曲げて隙間に差し込んだりと色々と試してみたが、開かないという状況は変わりそうもない。スマホもリビングに置いて来てしまったので、外部との通信手段も無いのであった。 「どうしよう」  どうしようもない時に放たれる、彼の呟きが薄暗い小部屋に反響する。 ▽  閉じ込められてから体感で一時間くらい経過したことを悟るのであった。  佳苗さんがこの異変に気付くまで、どれくらいかかるだろうか……仮に気付いたとしてももう下丸子に到着しているはず。取って返してきてくれたとしても、年が明けてから、とかになるんだろうか……  詮無い思いが頭を埋め尽くす。夕食はたらふく取ったあとであり、この片付けにあたり、真冬でも動くと汗をかく久我は、2Lのお茶のボトルを手元に置いていた。これが彼をそこまで追いつめなかった要因ではある。  パニックになることは避けられた。しかし、この小部屋の中の温度は意外と低い。折りしも寒波到来のこの時期、明らかに寒気はしんしんと室内にも侵入してきているのであった。 身を温めてくれそうなものは、と小部屋の中をひっかきまわす。布団の類は残念ながら無かったものの、使い古しの布団圧縮袋は段ボールのひとつから見つけることが出来た。  ひとまずその中に体育座りで収まる久我なのであった。  僕はこの年の瀬に何をしているんだろう……ともっともな思考が大脳に上りかける。改めて考えなくても、異常な年越しスタイルである。スマホもテレビも無いこの部屋で、一体何をして過ごせばいいのか、今度はそういったことに目が向いてしまうのであった。  本はラックと共にいったん廊下に出してしまっていたし、高尚文献に関しても先ほど厳密な吟味をした挙句、残すものと捨てるものをきっちり仕分けてこれまた廊下に一時退避させてしまっていた。  じゃあもう寝ちゃうか、との思いに至る久我だが、室内は結構な寒さで、寝たら死ぬんじゃね? との極端な己の思考にビビり、あ、朝になるまで寝ないでおこう……と決意を固めるのであった。  と、目線の先に菓子箱があるのを見て取った。あれこれ何だろう? と万が一中身お菓子だったらいいのにな……との一縷の望みを込めるものの、その箱のくたびれ方からはそんな希望的観測を軽くはねのけるくらいの佇まいを感じさせる。それでも手に取って中身を確認せざるを得ない久我なのであった。 (……これ保育園の)  中はやはり菓子ではなく、古びた感じのミニノートやら、リングでまとめている紙の束がいくつも入っていた。  それは彼の息子たちが保育園に通っていた頃、園とやり取りをするための「連絡帳」たちなのであった。  実際に連絡事項が無い場合は白紙で提出して構わないものの、何を思ったか久我は毎日家で起こったよしなしごとを律儀にツイートしてきたのであった。  上の子アキトの六年分。下の子ハルトの六年分。結構な量である。 (これでも読んで、年を越しますか)  とにかく寒さと退屈を紛らわせることが出来れば何でもいいか、みたいな思考に入っている久我なのであった。  上の子の一歳の時の連絡帳をめくっていく。
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