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「かんぱーい!」
「乾杯」
近くに見付けた居酒屋で、ビールで乾杯する。まさか弟とお酒を飲むことが出来るなんて、思いもしなかった。
「これからよろしくな、澪」
「……よろしく、樹」
正面に座っている樹をまともに見れない。つい先程手の平を舐められたこともあるが、今までもまともに顔を見ていなかった。
どこに視線を向ければいいのか判らない。
「働き始めるまでは俺が色々家事やってやるよ」
「そんな、いいよ」
「いいよって、だって忙しいんだろ? 碌に買い物にも行けずに」
「今が忙しいだけだもの。もうちょっとすれば落ち着くわよ」
「そんなん判んねぇだろ。いいじゃん、やれるうちはやってやるから。俺結構料理上手いんだぜ」
それはこの前の朝御飯の時から良く判っている。
「……判った。ありがとう、樹」
「どーいたしまして」
ニカッと笑った顔をしたあと、注文した串にかぶり付く。笑顔を見せてくれると嬉しい。自分に向けられると嬉しい。
過去の痛みは忘れていない。それでも。もしかしたら、樹との関係をやり直せるかも……
それは、どうしても捨てきれない澪の願望。
この同居生活がいつまで続くかは判らないけれど、一緒に居るうちは何とか壁を取り払ってみよう。澪はそう決心した。
* *
「おはよう、澪」
「おはよう……樹」
それからの澪の日常は、樹と挨拶を交わすことから始まった。それが酷くくすぐったい。
今まで、家で誰かと挨拶を交わしたことなどなかった。
今まで「行ってきます」と告げて仕事に向かったことなどなかった。今まで「ただいま」と言いながら帰ってくることなどなかった。
それだけのことがとても嬉しい。
樹が言った通り、樹が作る料理は美味しかった。澪も自炊はもちろんしていたが、自分だけのために作る料理は味気なかった。それが一緒に食べる相手が居ると、こうも違うものだろうか。
「今日は何食べたい?」
弟からこんなことを訊かれる日がくるなんて。
「樹。嬉しいけど、毎日作らなくてもいいよ。私も作るし」
嬉しいけれど、家のこと全て樹にやってもらうのも心苦しい。
「いーよ、別に。こういうことするの結構好きだし。俺も働き始めたら澪にやってもらうから今は甘えてろよ」
これではどちらが年上か判らない。
「……ありがとう」
樹からこんなことを言ってもらえるとは思っていなくて、どうしても頬が緩んだ。
同居生活は続く。週末にはふたりで買い物にも行くようになった。
「車ねぇと不便だよなぁ。米とか水とか買う時面倒」
食料の買い出しに行った帰り道、両手に荷物を下げた樹がそうぼやく。
「樹、免許持ってるの?」
隣に並んで歩いている澪が尋ねると、樹は眉を寄せた。
「何だよ、意外? てか、免許取るの当たり前じゃん。あっちの方じゃ車ないととにかく動けねぇんだから」
あっちの方というのはふたりの実家の方。田舎の方にある実家は、確かに個別で動ける物がないと大変だろう。
「うん……そっか」
高校生になってから実家を出たきりの澪には、いまいち実感は伴わない。感じるのは疎外感──
「今度レンタカー借りてさ、ドライブでもしようぜ」
沈みかけた澪の心を、樹のそのたった一言が掬い上げる。
「うん」
肩を並べて歩く。笑顔で会話を交わす。
同じ家で同じテーブルにつき、同じ食事を摂る──弟と。ただそれだけの、他愛ないことが嬉しい。
この穏やかな日常が、今までの離れていた距離を埋めてくれているような気がして。
きっとこのままやっていける──弟と一緒に暮らして行ける。
そう思えた。
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