初恋の色

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鷹野(たかの)さん、最近楽しそうだね」  澪が会社でそう声を掛けられたのは、樹との同居を始めて三週間目に入ったころ。 「そうですか?」 「うん。何か雰囲気が明るくなった。何か良いことあった?」  澪は会社で余り目立つ人物ではない。それなのに、同じフロアの男性社員からこんなことを訊かれるなんて、何か顔に出ていたのだろうか?  確かに、樹と同居するようになって良く笑うようになった。笑うと楽しい。気持ちが穏やかになって、幸せな気分になる。それが出ているのだろうか。 「弟と同居するようになったんです」  別に言わなくてもいいことをつい言ってしまったのは、どこか自慢したくなったのかもしれない。 「弟さんと?」 「はい。私高校に入ったころから実家から離れてたので、一緒に暮らすことが嬉しくて」  家族で暮らすのは当たり前のこと。それがこんなにも嬉しい。 「鷹野さん、今までご家族と離れて暮らしてたの?」 「はい、そうです」 「そう。良かったね」  男性社員はそう言い置いて自分の席に戻って行った。その姿を見送って……今の会話を頭の中で無意識にリピートしてみた時。  たったそれだけのことで、何を浮かれているんだろう──そう、思われたのではないか。  それだけのことに浮かれるな。そう釘を刺されたようで。何故か心臓が、焦りと不安で重く脈打った。  * *  気を付けよう、と思っていても。  仕事のけりがついた時、休憩している時、仕事が終わって帰る時──樹の顔が浮かぶ。  昔の怒っている顔ではなく、泣いている顔でもなく。帰ってきた澪を「お帰り」と出迎えてくれる笑顔。心がポカポカと暖かくなる。  今日もきっと笑顔で出迎えてくれる。今日も暖かい気持ちをくれる。そう思うと、自然と顔が綻んだ。  ──相手は弟なのに。  まるで恋人のような心持ちに澪は自分でも戸惑う。けれど恋人だったら別れたら終わり。  弟とは、家族とは一生縁のある繋がりだから、終わってしまうことはない。それは何て素敵なことだろう。  過去の痛みは忘れて、これからを生きて行きたい。弟と──樹とともに。  例え澪と樹の間に、血の繋がりは存在しなくても。  澪と樹が姉弟になったのは、澪が7歳、樹が5歳のころ。  樹は父親の後ろに隠れてしまう内気な男の子だった。新しい父親と弟が出来ることは、澪は楽しみで仕方がなかった。  澪の実の父親は、澪がまだ2歳のころに交通事故で亡くなっている。悲しいことに、記憶にも残っていない。『お父さん』と呼び掛けたことのない澪は、そう呼べる人が出来たことがとても嬉しい。  しかも相手はよく知っている人物──母親の会社の同僚──で、以前からよく遊んでもらっていた。だからその人を『お父さん』と呼べる日がきたのが嬉しくて堪らない。  そうして家族になって──思わぬ事態になった。  2歳年下の(義理弟)。  内気だった樹が、澪に心を開き始めた。開き始めたと思ったら、すぐに(なつ)いた。どこに行くにも連いてくる。何をするにも同じことをしたがる。  新しい父親が出来たことも嬉しかったが、この小さな弟が頼りにしているのはこの自分だ、ということがとても誇らしかった。  あれほど楽しみにしていた父親をよそに、すぐに澪も樹にのめり込んだ。自分より小さな弟が愛おしい。自分より柔らかな肌が心地好い。  むちむちの滑らかな頬。小さな唇、小さな鼻、小さな耳、小さな紅葉の手──何もかもが可愛くて仕方なかった。
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