初恋の色

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「樹」  ずっと樹のことを考えていた澪は少し躊躇(たじろ)ぐ。 「いつもより長湯だったんじゃない? 逆上(のぼ)せるよ」  柔らかく頬笑む弟の笑顔がやたらに眩しい。 「……ちょっと、考えごとしてたから」  素直に口にしてしまったのは、この笑顔に釣られたからだろうか。 「ふぅん? どんな?」  そのまま流してくれると思ったのに、樹は喰い付いてきた。 「どんなって……色々だよ」 「色々?」  樹は澪に近付く。風呂上がりで上気した頬。無意識に上目遣いで見上げてくる顔。それを受けた相手がどんな劣情を抱くかを知らない。  近付くと、風呂上がりの良い匂いが樹の鼻先を掠める。手が伸びたのは、無意識だった。 「……樹?」  澪は後ろに下がろうとして、すぐに壁に阻まれる。 「いつ、」  呟いた名前ごと、樹の腕の中に包まれた。澪は思考がストップする。  小さいころとは何もかも違う。澪の身体は、樹の身体にすっぽりと収まってしまう。記憶の中にある、あの柔らかさ、あの暖かさ──  それとは違う、知らない()()()の匂い。心臓がドクンと跳ねる。暖まった身体が尚も熱くなる。 「樹……」  小さく呟いた声は、弟に届いたかどうか。樹は澪の髪を撫でた。 「……まだ、しっかり乾かしてないんじゃないの。髪」  頭の上から降ってくる声に、澪の心臓の鼓動は樹にまで聞こえるのではないかと思えるほど高鳴る。 「良い匂いがする……」  髪の一房を持ち上げられた気配がする。もう片方の手は、澪の背中を撫でた。 「綺麗な髪だな。俺が乾かしてあげようか?」 「樹……ッ」  頭の中も、顔も身体も火照る。真っ赤に染まる。 「俺、このシャンプーの匂い好きだな。澪の匂いだ」  混乱しながらも樹の腕の中から抜け出そうと澪がもがくと、逃がさないとばかりに樹の腕に力が入った。 「樹!」  澪の頭の中は疑問符だらけだ。どうして、樹は自分を抱き締めてくる? どうして? どうして!? 「何だよ、前みたいにギュッてしてくれねぇの? いっつも抱っこしてくれてたじゃん」 「そ、それはずっと前の……子どものころの話でしょ!?」 「してくれねぇの?」  樹の言葉は澪の抵抗を奪う。(おとうと)を抱っこしていた。ずっと抱き締めていたかった。けれど、澪の腕を拒否したのは当の樹だ!  混乱しまくりで抵抗も出来ず固まっていると、頬に柔らかいものが押し当てられた。次いで吐息も掛かる。 「樹!?」  軽いリップ音を立てて頬から離れた唇は、澪の首筋に埋められた。 「樹! 止めて!」 「前はよく頬っぺにちゅーしてたじゃん」  首筋から唇を離さないまま喋られると(くすぐ)ったい。異常なまでの身体の火照りを抱えながら、澪は必死に声を上げた。 「止めてったら、樹! もう昔とは違うんだから!」  澪の首まで真っ赤に染まっているのを見て、樹はようやく身体を少し離す。 「く、擽ったいから止めて。姉相手にこんな風にふざけないでよ。お姉ちゃん、困るわ」  馴染まない触れ合いに思考は混乱を極め、澪は普段名乗り慣れない呼び方までして平静を保とうとする。 「……ふざけてなんか、いねぇけど」  低い声で呟いた樹に、澪はびくりと身体を震わせた。それを見て樹は少し目を伏せたあと、澪の横を擦り抜ける。澪が出てきた洗面所に入っていく。  扉を閉める寸前、片目だけ見える隙間から「澪」と呼んだ。鋭い視線が澪を射抜く。 「()()()()()って呼んで欲しいの?」  表情の見えない樹が、どんな気持ちでそんなことを言っているのか判らない。 「──絶対、呼んでやらねぇ」  息を呑む。短く断言されたその言葉の意味がすんなり頭に入ってこない。  澪が何か言う前に、扉は閉められた。
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