初恋の色

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 時刻は午後9時──  残業が終わり、ようやく帰路に着く。電車に揺られ、バスに乗り、歩いて15分──自分の部屋があるアパートが見えてくる。  ふぅ、と付くともなしに溜め息が漏れる。あともう少し。部屋に入るまでは辺りへの警戒を怠ることは禁物だが、もう少しで家に着くと思うと安心感が増す。  切れ掛かっている外灯を潜り、自分の部屋の扉を見た瞬間──(すく)み上がった。 「ひ……ッ!」  何かが……()()が、扉の前に居る。  思わず漏れたか細い悲鳴に、その誰かは顔を上げた。  不審者、犯罪者、変質者。警察に通報。スマホは鞄の中、出さなきゃ。顔を見られたらまずい。どうしよう。  一瞬で様々なことを考える。考えるけれど、実行出来るかどうか。けれど実行しないと、自身の安全に関わる。  そして顔を上げた──その人物は。 「(れい)」  名前を、呼んだ。  澪。  自身の名前を呼ぶその人物を、澪は恐る恐る窺う。なぜ、自分の名前を知っている? 「……(いつき)?」  幼いころの面影を残す顔を、そこに見た。名前を呼ぶと、嬉しそうに笑う。 「澪。うん、俺だよ。樹」  身元が判明したことによって、澪の緊張は緩む。 「どうしたの? 急に……」 「取り敢えず家入れてよ。ずっと待ってたんだからさ」 「あ、うん。ごめん……」  大きな旅行鞄を持っている樹にそう言われて、澪は慌てて鞄の中から鍵を取り出す。  緊張していた身体は完全には(ほぐ)れず、取り出した鍵を落としてしまった。それを樹が拾う。そのまま鍵穴に差し込み、澪より先に扉を開けた。 「ちょ、ちょっと、待って!」  汚くしているわけではないが、全てを整理整頓してあるわけでもない。 「……こういうところに住んでんだ」  1DKの小さな部屋。グルリと見回せば、それだけで全ての物が見渡せてしまう。 「あんまりジロジロ見ないでね……」  既に見られてしまったのなら、もう隠しようがない。澪は諦めてベッドサイドに鞄を置いた。  狭いキッチンで温かいお茶を煎れてから、そのコップを樹に持たせる。 「ちょっとだけ外で待ってて」 「は?」 「着替えたいの。すぐ終わるからちょっとだけ待っててね」  樹の背中をグイグイ押して外に押し出した。小さな部屋では着替える場所もない。  グレーのスーツを脱いで、下の白いシャツも脱ぎ捨てる。クローゼットから部屋着を取り出す。量販店で買ったインナーカップ付きワンピース。普段なら散々着回した物を着ているが、さすがに他の人の目があるのにそんな物を着るわけにはいかない。ストッキングも脱いでまとめて洗濯機に放り込む。  樹に見られたくない物……は、特にないが、ベッドサイドにストリングカーテンを付けておいて良かった。完全に視界を遮るような物ではないが、無いよりマシだ。  その間、約10分──澪が言った通り、樹は大人しくお茶を飲みながら外で待っていた。 「……ごめんね、樹。お待たせ」 「ん」  改めて樹を招き入れ、ローテーブルを置いた部屋の中央に促した。
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