初恋の色

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「ご飯は? 樹」 「食ってきた。澪は?」 「私はこれから……残業してたから」 「何食うの?」  樹の問い掛けに、澪は小さなコンビニの袋を持ち上げた。 「コンビニ飯?」 「最近ちょっと忙しくて……あんまり買い物行けてないし、帰ってきた時はもう疲れちゃってて」  言い訳のような言葉を澪は口にする。どうしてこんなことを言っているんだろう。  ひとり暮らしの部屋で、ひとりで何を食べようと誰にも迷惑を掛けていない。罪悪感のような後ろめたさも感じる必要はないのに。 「じゃあ明日は俺が作ってやるよ」  唐突に提案されたことに、咄嗟に反応出来ない。 「え……何で? どういうこと?」 「俺、澪と一緒に暮らすことにしたから」  いとも自然に、さも当たり前のように樹はサラリと告げた。 「ちょっと待ってよ。樹、どういうこと!?」  澪は慌てて詰め寄るが、当の樹は涼しい顔をしている。 「俺、こっちで就職決まったからさ。家から通うよりここに住んだ方が楽」 「就職? どこに決まったの?」  澪が尋ねると、樹は大手広告代理店の社名を言った。そこは澪が勤める会社の近く。実家から通うより確かにこちらの方が便利だろう。  けれど、だからといって、すぐ受け入れられるかどうかは別問題だ。 「無理だよ、樹。困る……」  こんな小さな部屋で。遮る物も、隠す場所もない1DKの部屋で、一緒になど暮らせるわけがない。 「何で?」 「何でって……物理的に無理でしょ。ここはひとり暮らしサイズの部屋なんだよ。一緒になんて無理」  それに、部屋のサイズ云々よりも何よりも……  ──あなたは、私が嫌いでしょう? 樹。 「それもそうか。もうちょい良い部屋に住んでると思ってたしな。防犯レベルも低そうだし、どうせなら引っ越すか」 「は!?」  樹は澪が驚くことを次々と口にする。 「そんなにおかしいことか? この辺俺不慣れだし」  確かにこのアパートはセキュリティが甘い。甘いというか、玄関の小さな鍵とベランダ側の頼りないクレセント錠のみだ。押し入ろうと思えば、簡単に破ることが出来るだろう。 「いいだろ? 澪は身辺が安全になる。俺は不慣れなこの土地で淋しく過ごさなくてもよくなる。お互い様じゃね?」  そう言われれば、そうかもしれない。けれど──…… 「それに俺、澪と暮らすって宣言して家出てきてるからさ。澪が受け入れてくれねぇと帰る家ねぇんだ」  それは酷く狡い言い方だ。 「そんな……私だっていきなりそんなこと言われたって無理よ! 私の都合だってある!」 「何。その都合って」 「え?」 「彼氏でも居るの?」  樹の口にしたその単語が澪の胸に突き刺さる。今までの人生、彼氏など出来たことなどない。誰かの彼女になったことがない。  樹が食い入るように見つめていることには気付かず、澪は小さく溜め息をついた。 「彼氏なんか、居ないもん……」  自分で言っていて悲しい。 「そ。じゃあその点はクリアだな。で、他は?」 「え?」 「他に何の都合が悪いの?」  そう言われると、何も答えられない。  一緒に暮らすのに、部屋の狭さやセキュリティがネックになるだけで、そこが解決となれば樹を否定する材料はなくなる。 「つ、通勤距離とか、家賃とか。あんまり高いところに移るのは無理」 「通勤距離も今も結構掛かってんだろ? どこも対して変わんねぇよ。家賃は俺と折半。下手したら今より低くなるかもよ」  如何にも付け足しのように訴えてみるが、樹は全く取り合わなかった。  色々言ってみたが、一番言いたいことだけは言えない。  ──どうして、嫌いな女と一緒に住みたいの? 『澪なんか嫌いだッ!』  過去(あの時)のあの言葉は、未だに胸に突き刺さっている。  思い出さないようにしてきた痛み。そこがジクジクと疼き始める──
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