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おおよその時間経過を自覚した瞬間に飛び起きる。
新しい樹のベッドはとても寝心地が好かった。清潔なシーツに、柔らかい毛布。樹が揃えた物なのに、自分が勝手に先に使ってしまった。澪は罪悪感を覚える。
「樹!」
急いでリビングに駆け込むと、そこにはあらかた片付いた部屋の中に、樹が転寝をしていた。
澪は一瞬立ち止まり、それからそろそろと近付く。
──樹。可愛い弟。大切な弟。
樹は、澪が7歳の時にやってきた男の子だった。澪より2歳下の男の子。
人の肌に飢えていたのか、樹はすぐに澪に懐いた。澪も新しい家族になった小さな弟がとても可愛かった。
そのころの肌の柔らかさを覚えている。むちむちの滑らかな頬っぺだった。
転寝をしている無防備な顔を見る。
成長した今は、もう昔のようには触らせてくれないかもしれない。そう思うと、澪は無性に樹に触りたくなった。
そろそろと、手を伸ばす。意味もなく息を止めていた。何故か指先が震える。
伏せられた目蓋。長い睫毛。形の良い薄い唇は、軽く開かれている。
震える指先を頬に添えた──その瞬間。
目を閉じていた樹の目蓋がパチッと開いた。
びっくりした澪はすぐに手を引っ込めようとしたが、樹の素早い動きに阻まれた。
樹の顔を覗き込んでいたということは、顔を近付けていたということ。手を掴んだまま樹が上半身を起こしたため、互いの顔がグッと近付く。
「い、いつ……」
開かれた目は、酷く真剣で。笑みの気配は欠片もない。
掴まれた手に力が籠められる。澪の手を掴んでいない方の腕は背中に回された。抱き締められた格好になる。
──胸に走る痛み。
樹が来てくれた。樹から歩み寄ってきてくれた。自分を頼ってきてくれた。
離れていた間の溝を、もしかしたら埋められるかもしれない。そう、微かな期待を持っていたのに。
──やっぱり、私は嫌われている……
掴まれた手に籠められた力に、悲しくなった。
「……離して、樹」
樹は無言でいる。無言で澪を見つめている。
「樹」
この距離が耐えられない。背中に回された樹の腕を意識してしまう。
「……澪」
ようやく掛けられた声に籠められた感情は、澪には判らないものだった。
「澪。今何してたの?」
それは、つい今しがたの自身の行動を咎められているように感じて……
「ご、ごめん」
「謝らなくていいから。今何してたの?」
樹は掴んだ手を離さない。
「樹……」
怖い。悲しい。ここまで嫌われていたのかと思うと──
「答えて、澪。怒ってるわけじゃねぇから。なぁ、今俺に触った?」
樹が喋る度に責められているように感じて居たたまれない。樹の目が見られない。
「澪。答えて」
樹は握ったままの澪の手を自身の頬に当てた。
「樹!」
「答えてよ、澪」
手が熱くなる。頬も熱を持つ。真っ赤に染まっていくのが判る。
「離して、樹……」
泣きそうな気分でお願いしても、樹は握り締めた手の力を緩めようとはしなかった。
「澪」
答えない、答えられない澪に焦れたように──あろうことか、澪の手の平に唇を寄せた。
「樹!?」
咄嗟に手を引き抜こうとするが、樹はそれを許さない。
「……ッ!」
そのまま手の平にキスを受ける羽目になった。
「──答えろよ、澪」
チラリと見上げてくる樹の目は、全く知らない男の目をしているようで……
澪はゾクリと背中が震えた。
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