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これがまたカズと呼ばれた狛犬には気に入らなかったようだ。
『お前な……せめて墨はすれよ!それに、そんなきったない筆で契約の霊符を書くつもり!?冗談じゃないっての!』
「読めりゃいいんだよ、読めりゃ」
『クズ!バカ!オニ!トーヘンボク!!』
「はははは 元気元気」
源内は狛犬の吠えるのをどこ吹く風と受け流してさらさらと、これまた奇妙な形がずらずら並んだ霊符を書き上げた。
「ししょー……狛犬さん、かわいそーじゃない?」
遥希は、狛犬の石の体をそっと撫でて同情にしては澄んだ優しい目で狛犬を見上げていた。
この狛犬の中にいるのが何者なのかは分からなかったものの、言葉がなくとも内側を察する共感能力が人より発達している遥希は、狛犬が強気に怒鳴っていながら心底がっかりしているのが分かってしまったのだった。
「かわいそーっちゃかわいそーだな。でも俺はどーしたってコイツが必要なの。こんなにベストなタイミングで神獣に進化する狛犬なんか……他に探せねえよ」
「シンジュウ……?シンカ……?」
目を点にしてハテナマークを頭の上にのっけた遥希に源内が説明するには……狛犬は、腕のいい職人の手によって像に込められた魂が神社の神気と参拝者の念を吸って大きくなり、像の依代としての力が風化で弱くなった時に解き放たれ、神獣として生まれ変わるらしい。
この狛犬を手掛けた名工が込めた小さな魂は、数百年の間、神社の神気と日本有数の霊山の霊気、人間が拝むその念を吸って成長し、今日天の恵みの雷鳴を糧にまさに生れ出ようとしていた──
『天和元年から332年……ようやく自由になれると思ったのに……』
悲し気な声で石の像は呟き、雨に濡れた様子も相まっていかにも哀れである。遥希は「そんなに待ってたの……」と既に涙声だった。
ところが……霊符を持って立ち上がった源内は「くせぇ芝居すんな」と一笑に付して草履を履き、土間に立った。
「お前、めんどくせーだけだろ。いーじゃん、お前の好物の妖気もここにゃあたっぷりあるし。人間の一生なんて数十年。ちょっと付き合ってくれよ」
「えっ覚くん、妖気たっぷりって俺のことっ!?」
ぎょっとした顔をしたのは妖狐の頼。
「うん。大丈夫大丈夫。コイツ少食だから」
えーー!と頼は頭を抱え、狛犬は芝居をやめて不貞腐れ、あっさり騙された遥希は呆然……三者三様にただ一人、泰然自若の源内が笑っていた。
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