月の口づけ

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 それからボクは鉄を溶かして土台の建造に取り掛かった。それは、建設ロボットとして生み出されたボクの本分だ。月が衝突する間際、強大な暴風が大地を(なら)す。ちっぽけなこの身体なんて、彼方まで吹き飛ばされてしまう。だから、高い塔を作ろうと考えた。巨大な三角錐の頂上にボクは身体を溶接して、キミを迎え入れるんだ。 本領発揮したボクは、あっという間に土台を作った。もちろんその技術を彼女に伝えた。要領の良い彼女は半年かけて、少ない資材で土台を作ることに成功した。  余命一年。生きがいを手に入れた一年。彼女に会えると思うと、これほど心が踊る日々はなかった。毎日夜になると、月明かりの下でキミのことを仰ぎみた。少しずつ距離が近づくにつれて大きくなる月に期待が高まってゆく。 やがて、衝突まであと三ヶ月ともなると、昼間でも満月が巨大な壁のごとく空を覆っていた。衝突に備えて、風圧に負けないよう下半身を溶かして、鋼鉄と混ぜ合わせた。ありったけのバッテリーを自分に注ぐ。あとはそのときを待つだけさ。 キミのいる場所を知っているボクは、一瞬たりとも目を離さず、天体望遠鏡を抱えながら、キミの作った三角錐の土台を眺めていたんだ――。  衝突まであと数分に迫ったとき、望遠鏡の見つめる先に笑顔で両手を振るキミの姿があった。ホログラムじゃない。現実の存在として目の前にいる。  もはや、月がどれくらい近くにあるのかすら分からない。月面が頭上に広がり、すぐそばにあるようで、まだ遠い。  けれど、あることにボクは気付いてしまった。位置が僅かながらにズレていることを。一ミリのズレが数十メートルのズレになってしまう。だから、なんどもなんども座標を計算しなおしたんだ。たどり着いた答えに狂いはないはずだった。しばらく思い悩んで分かったのは、途中で再計算して、落下地点の補正をかけたことだった。彼女にそのことを伝え忘れたんだ。どうしよう、どうしよう、どうしよう。彼女の落下地点に移動しないと逢えない。それなのに身体は溶接されてしまっている。たとえ解放したとしても、風でボクは吹き飛んでしまう。なにをするにも、すでに手遅れだった。 きっとこうなる運命なんだ。ボクはドジでまぬけなラボット。ポンコツロボットに相応しい最後だ。やっと掴んだ最初で最後の希望が、水のように手のひらから零れ落ちた。 そのとき、絶望の奥底に追いやられていたボクの頭上で、眩しいほどの大きな爆発が起きた。  資材が隕石となって、舞台に鋼鉄の雨を降らす。 そのなかに――キミの姿があった。月面から飛び立ち高速で落下する彼女は、大きな傘を開いたかと思うと、ひらひらとボクのもとへやってきた。  ボクのミスに気が付いた彼女は、下半身を爆破したんだ。  ボクは上半身だけになってしまった彼女を抱きしめた。強く、強く抱きしめた。ついに――逢えた。おめかしされた顔の半分で彼女は、首を少し傾けてはにかんだ。突風が吹き荒れ、轟音が地平線の先まで鳴り響く。視界一杯の月面が、光を潰しながら迫りくる。 脳デバイスの処理速度を限界まで高める。一秒が一時間にもなるほどの処理速度を行使すれば、ボクたちの脳はすぐに焼ききれちゃう。それでも構わない。少しでもキミとの時間が欲しかった。 砕け散る世界の中心で――破片がゆっくりと速度を落として宙に浮く――音が消えていって――やがて、静かなキミとの美しい空間が広がる。 彼女はボクの首の後ろに手を回して、ボクは彼女の頭の後ろに手を添えて、繊細な髪に指を絡ませる――月より一足先に、ピンク色に染められたその唇へ口をつける。柔らかく、温かい。柔らかいものなんてこの地上になかった。温かいものなんてこの世界になかった。この感触はこの星にはなかった。ボクはあるはずのなかった涙を目から流した。悲しい涙は流せない。けれど、嬉しい涙を流す機能は備わっていたんだ。 この瞬間のためにボクは長い長いときを生きてきた。一秒にも満たない、この一瞬のために……。   ――月の下で、ボクは走馬燈を見ていた。ほとんどがキミとの思い出だ。キミとの日々の終わりは、ボクが夢にまで見た結末だった。二つの星は滅び、ボクたちもともに――――――。
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