玉座の邂逅 月明かりの下で

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青くさい、湿った草土の匂いが鼻を掠める。 それはとうに忘れていた幼い記憶を呼び起こした。 樹々に響く鋭い剣戟の音。気合いの掛け声と荒い息遣い。緑豊かな故郷で、毎日繰り返される幸せで単調な日々。 兄と父上の稽古を木の陰からこっそりと見ていた俺は、二人の気迫に興奮してしまい、おれも!おれもやる!などと口走りながら木の棒を片手に、もう片方の拳を振り回しながら父上に突進していった。 父上はこちらに顔を向けることなく、ひらりと身を交わす。背中にとん、と軽い衝撃を感じたときにはもう地面に腹から落ちていたように思う。 地に突っ伏してぎゃあぎゃあ泣きはじめた俺の頭を大きくごつごつとした手が包む。 「シン、お前に剣を与えよう。兄上と一緒に鍛錬しなさい」 興奮と、痛みと、憧れと恥ずかしさと。涙でぐずぐずになった頬に柔らかい土の匂いを感じながら、まだ名前もわからないそんな感情がぐるぐると腹のなかで回っていた。 あのときと同じ、青草と土の匂い。名も知らぬ森の中を大股ですすみながら、自然と口角が上がるのを感じた。 しかし、突如緑が終わる。 次に眼前に広がったのは一面真っ白な大地と、それを覆うような重い灰色の空。澄んだ夜のかけらは、分厚い雲群のすきまからちらちらと申し訳程度に瞬く。 白い平野の中心に、目指す廃墟は遠くどっしりとその存在を主張していた。 朽ち果てた瓦礫の集合体のくせに、さも高尚な理由があってその場に留まっているのだとでも言うような威圧的な石群を目指して、雪の平原に足を踏み入れる。 ざく、とブーツがめり込む感覚に、さきほどの記憶の名残か、童心を刺激されて足跡を残そうと二歩、三歩強めに踏みしめてみる。 だが雪で覆われた地面は跡ひとつなく滑らかなままだ。 柔らかくなりかけた心が、再び固く尖る。 やはり、俺はあのとき死んだのだ。 あの、ごうごうと燃え盛る炎に巻かれて。 背にのしかかる梁の重みと、煙の匂いが蘇る。兄と父、そして仲間の無念の死に顔が幾重にもかさなり、頭のなかで不協和音をがなりたて始めた。 おもわず足を止めて、目頭をぐっと押さえる。 「おい、君、大丈夫かい?」 背後の気遣わしげな声に振り向くと、見慣れない衣装の男がこちらに向かってきている。 「問題ない」 短く答えて前を向き、廃墟に向かって再び歩きだす。 「ちょっとちょっと!ほら、もうちょっとなんかないのかな?お気遣いありがとうとかさ」 たた、と軽い足音を立てて男は俺の横に並んだ。目の端で確認すると、この男も雪の大地に足跡がない。自分と同じ死者であるはずの男の妙な軽々しさに不快感を覚え、 「お気遣いありがとう。大丈夫だ。失礼する」 「うっわ棒読みだぁ。クールな顔立ちとおなじくらい、冷たい返しだね?」 妙な言い回しをしながら、男はふふ、と俺の横で笑い声をあげた。 「俺はレイ。君はなんでここに?」 不快感をあらわにしている俺をものともせず、彼は重ねて話しかけてくる。ため息をついて、前を向いたまま再び口を開いた。 「失くしたものを取り戻しに。ここに来いと言われた」 炎のなか、迫り来る己の死よりも仲間を、父と兄を殺された怒りで焼けた喉が裂けても声なき叫びを続ける俺のなかに、突然その声は響いた。 ー雪のなかの玉座へ。お前がふさわしければ、月が再び命を与えるだろうー その言葉を理解した刹那、真っ赤に染まった視界が突如、森の緑へと変化していた。どのくらい歩いたかわからなくなる頃、こうして雪の大地へと踏み入ったのだ。 そういえば、なぜあの声が聞こえたのだろう。全ては当たり前のように、俺は今、あの廃墟を目指している。玉座へ行って再びの命を手に入れるために。 「ああ、同じだね」 再び物思いに沈みかけた俺に、レイと名乗った男は小さく呟いた。そこで初めてこの男の顔をまともに見つめる。年は同じか少し上、背が高く、濃い金髪が端正な顔立ちを引き立てている。軽口とは裏腹に、その表情は悲しげだ。暗い瞳に少しだけ、好奇心と人の良さを乗せて男は俺の瞳を覗き込む。 「声が聞こえたかい?」 「ああ」 「そっか。じゃあライバルだね」 「らい、ばる? なんだそれは」 俺の反応に、男はぱちんと指を鳴らした。 「あれ、やっぱり違う世界のヒトだったか。ライバルっていうのは、競争相手ってこと。君も玉座を目指してる、命をもらうために、ね?俺もだよ」 目的が同じだから、ライバルなんだよ、と彼は片目をつぶってみせる。その態度に、わずかだが好奇心が湧いた。 「お前は、なにか知っているのか?この場所について」 彼の視線はまっすぐ俺を捉えた。 「この土地は我が王国で伝説となっている、『白の廃墟』と呼ばれる地だ。遥か昔、強大な力を持つ男が王となり、豪華絢爛な城と国を建設した。だがやがて、時の移ろいとともにこの地も滅ぼされ、王は非業の死を遂げる」 流れるような語り口で、レイは言葉を紡ぐ。突如巻き起こった風が目の前のごろごろとした岩にぶつかり、無念の叫びをあげる。 「王は、だいぶ傲慢なヒトだったらしくてね、自分が死んだことが許せない。今でも玉座にしがみついているっていうんだよ?」 「それと、俺やお前となんの関係がある」 今や目の前に迫った建物。だが近づくにつれ、廃墟というにもみすぼらしい、瓦礫の山に過ぎないことがわかってきた。ただひとつ、玉座を除いては。 全てが灰色と白のぼんやりとしたなか、その玉座だけは磨き上げられたばかりのような黒い光を放つ。 「彼はね、あの玉座で亡くなったんだ。月の光を浴びながら。全てを呪いながら。そして、その呪いの言葉は自らに跳ね返った。王は死してなお、あの玉座から離れられない。しがみついてるんじゃなくて、しばりつけられてるんだよ。再びの命をねがう人間に命を与えることが、彼への呪いだ。自分は決してやり直すことなどできないのに、あの玉座から命を与え続けなければならない」 かわいそうなひとだよね、とレイは呟いて転がっている石を蹴った。ころりと乾いた音を立てる。 これはね、僕たちの国のおとぎ話だ。ぎょくざののろいって言うお話だよ。 子どもも大人もみんな知っている、周りの人に優しくしようねっていう類のほら、寓意モノだと思ってたんだけどね、いやぁびっくり。ほんとだったんだねえ。 レイはからからと笑う。 「この話を知らない君は、他の国からきたんじゃないかって思ったんだよ。願いの強さは時代や、国や、次元までも飛び越えてこれるっていうしね」 「ずいぶん都合のいい話だ。俺にとっては素晴らしい呪いだが。王にとっては酷だな」 「まぁね、でもみんながみんな、生き返らせてもらえるわけじゃないんだよ、もちろん」 「あの玉座の前で殺し合いでもするのか、俺たちが」 それでも構わない、と思った。もう一度、愛する家族と仲間を救う機会があるのなら。足跡のつかない白い地面を踏みしめる。レイは静かに首を振った。 「僕も、それでもいいかなと思っているよ、でも知らないんだ、残念ながら。絵本の挿絵ではたしか、何人かで月の雫を飲んで…」 レイの話がぷつりと終わる。 玉座の向こうから、人影が浮かび上がる。男が二人、同じように歩いてきていた。 頭上には、いつのまにか雲がすべて消え去った黒い空。星ひとつ見えない闇の絨毯に、真珠色の月がひとつ。 ほら、見て。雫が落ちてくる。 レイが低い声で囁いた。 空に浮かぶ白くまるい輪郭がふるん、と震え、すっとひと筋の線が地上へ、黒い玉座へとおりてくる。 それは、柔らかく光りながら、複雑な装飾を施した背もたれの上部に配された小さな四つの杯を満たした。 どうやらひとつの杯をめぐって争う必要はなさそうで、少しだけ、安堵の吐息を漏らす。好きこのんで殺し合いをしたいわけじゃない。 玉座を囲む三人の男たちは、無言のままそれを見つめる。みな、死してなおやり遂げたいことがあるのだろう、俺と同じく。暗い瞳の彼らに微かな親近感さえ湧くのを感じた。 「あれを飲めば、再びあの地へ戻れるのか」 自分が死んだところへ。仲間が死んだところへ。 「ああ。言い伝えではね」 レイは蒼の瞳を瞬かせた。 「ここに集まった四人の中の、誰の命がもどるのかはわからないよ。玉座の持ち主の好奇心か、あるいはあの月の気まぐれで選ばれるのか」 「わかっている。だが、飲まない選択肢など、ない。俺も、お前も。きっと他の二人も」 再び、しばしの沈黙が訪れる。 「私は藤真(ふじま)。では参る」 口を開いたのは腰まである長い銀髪を緩く結んだ、黒い装束の男だった。躊躇なく、盃へと腕を伸ばす。そのまま口もとへ運び、一気にあおった。続いて隣の短髪の男も名乗りを上げた。 「僕の名は、ハルト。この機会に感謝します」 彼はかすかに俺たちに頷き、クリーム色のローブから出した両腕で杯を掲げ、瞳を閉じてすっと飲み干した。 「じゃ、次は僕だね。よろしく、レイだよ」 レイは金髪を揺らして、俺に少し微笑んでから盃を受け取る。中身を見もせずに空にした。こくりと喉が上下する。 「ちょっとの間だけど、話せて良かった。どこかで会えたら、友達になりたかったよ。殺し合い、しなくて良かったね」 彼はそう言って、片目をつぶってみせた。 俺の手元、杯に満たされた液体は、夜空の真珠を頼りなげに映している。周りの三人が見守るなか、 「俺はシン。レイ、道行きの話し相手、感謝する」 彼に向かって杯を少し掲げ、喉へと流し込んだ。 全員が月の雫を飲み終わるのを待っていたかのように、四つの杯はさらさらと塵になり、風にとけていく。 藤真、ハルト、レイ。玉座を囲んだまま、互いにそれぞれの民族の流儀で頭を下げる。ほんの束の間の邂逅でも、三人の名はきっと、記憶に刻み込まれている。みな望みを同じくした魂だから。 だんだんと意識が遠のく。 最後にみえたのは、孤独な玉座と、その上に煌々と輝くまるい月、それだけだった。
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