第1曲 黎明の伝承歌

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 書斎は二人だけになり、しんと静まりかえる。母上は静かに僕のそばへ歩いてきた。  酷く申しわけなさそうな表情をしているので首を傾げる。 「リア。先日の視察はあなたにとって辛かったですね。王族として、人々から非難されることは承知のうえで行かせました」  足取りが重かった理由は、先日の視察のことがあったからだ。  視察前は初公務を拝命され、心を弾ませていた。  僕にも公務を任せてもらえる。母上の期待に応えたい。そんな思いで挑もうとしていたが、現地についてから信じがたい現実を目にする。  貴族の悪政に困り果てた人々。貧困にあえぐ人々。王家を非難する声を一身に浴びてきた。 「母上。街の現状は知らなかったの?」  僕の胸にくすぶっていた疑問を母上にぶつける。母上は貴族の悪政を見過ごすことはしないはずだ。  母上は眉を下げ、憂いの表情を浮かべる。 「……少し内情を話さなければいけませんね。近年、貴族の報告書に疑念があり、数年前から諜報(ちょうほう)員を雇っているのです」 「諜報員を?」    そんな話は初めて聞いた。貴族からの噂も聞かないので、ごく一部の者しか諜報員の存在を知らないのだろう。  そして、街の内情を諜報員から受け取ったのは、つい最近だそうだ。  それだけ貴族が狡猾(こうかつ)に報告書を(いつわ)り、母上に知られないよう裏工作をしていた。  母上の言動から、今回の視察は僕でなければ暴くことができなかったのだと察する。  明確な理由がなく視察団を送れば、諜報者がいるのではないのかと疑われてしまう。  僕を初公務の名目で視察へ行かせれば、貴族は難色を示すが疑われる可能性は低い。 「そして今回、あなたが公務として報告書をあげてくれました。ようやく表立って動くことができます。視察は期待以上でしたよ。よく頑張りましたね」  一部貴族の素行が悪いのは母上も父上も承知だ。しかし、証拠がなければ裁けない。  無理に強硬手段をとれば必ず反発がおきる。  母上は国民と貴族の板挟みになっていた。今は、両者の不満や要望を拮抗(きっこう)させることで精いっぱいなのだろう。  家族なのに何もできない自分の幼さと立場が悔しい。  不意に母上の手が僕の頭を優しくなでる。久しぶりに触れたぬくもりをこそばゆく感じた。 「……母上。あの……僕が親書を届ける役で本当に大丈夫なのかな?」  代々ルナーエ国の政に関わる王族は女王と騎士団長のみ。他の王族男子が(まつりごと)に介入し、発言力を持たれることに不満を抱いている。先ほど回廊での貴族の話が物語っていた。  今回の親書の件も貴族から母上が批難されるのではないかと不安になる。 「……リア。自分が王子だからといって決められた道を進む必要などありません。あなたが自分でしたいと思ったことをやってみなさい」 「ありがとう、母上」  ふと、母上が胸にあてた左手に視線を落とす。中指の爪には宝石を宿した証である刻印が刻まれていた。 「母上の月石の刻印きれいだね」 「ありがとう。リア」  母上は少し困った表情をしてほほ笑んだ。  ルナーエ国は象徴の宝石があり、紅緋(べにひ)色の太陽石と白藍(しらあい)色の月石のふたつ。そして、原石(プリムス)という特別な階級の宝石だ。  原石(プリムス)は各宝石に存在しており、世界にひとつしかない。そして、意思があり自ら宿主を選ぶ。  宿した者はその属性の最高の魔法が使えるようになる。  僕たちがまだ幼いころ、母上は月石に選ばれたそうだ。女王が原石(プリムス)を宿した代は大繁栄期になる伝承がある。  約百年ぶりに宿ったらしく、国民は嬉々としていた。 「セラも原石(プリムス)に選ばれるのかな?」 「私たちは女神アイテイル様の子孫です。可能性は否定できませんね」  女神アイテイル様は、太陽石と月石を宿してルナーエ国を建国した神話がある。  そして僕たちルナーエ家はアイテイル様の直系にあたるそうだ。  一人ひとつしか宝石を宿せないので神話の真偽は定かではない。 「僕の(あざ)。月石の刻印に似ているよね」  自分の左手を見やると、爪に月石の刻印と酷似した痣が目に入る。  幼いころ扉に挟んでできてしまったらしいが、そのときの出来事は覚えていない。  セラには内緒で宝石を宿したのではないのかと疑われていた。しかし、月石は母上が宿している原石(プリムス)以外、存在は確認されていない。 「……リア」  優しい声につられ母上を見ると、ゆっくり左手を引かれ抱擁された。  突然のことで反射的に逃げてしまいそうになるが、母上のまとっている切ない雰囲気を察して僕は身をゆだねることにする。  母上との抱擁はいつぶりだろうか。甘えてはいけないと思い、親と子のふれあいを無意識に拒んでいた。  少しの沈黙のあと、母上が言葉を紡ぐ。 「リア。のちほど大切な話があります。ゆっくり話したいので、時間が出来ましたら呼びますね」 「……うん。わかったよ」  大切な話とは何なのだろうか。  母上は僕の髪を優しく()いたあと、「クラルスを待たせているから行きなさい」と呟いた。  ”大切な話”に後ろ髪を引かれる思いだが、一礼をして書斎をあとにする。  抱擁の余韻が残るなか、回廊へ出ると柱の前でクラルスが待っていた。 「おかえりなさいませ、リア様」 「待たせてごめんね。クラルス」  彼は僕の顔をじっと見たあと、口元を緩める。 「……リア様。うれしそうですね。陛下と何かございました?」 「えっ……ううん。なんでもないよ!」  思わずクラルスから視線を外した。心中を気取られて恥ずかしくなり、急ぎ足で自室へと歩みを進める。  僕の背中へほほ笑ましいと言わんばかりの、くすりという笑い声が聞えた。  ミステイル王国へ旅立つ日。朝日を受けて輝く水面を眺めながら船に乗り込む。澄んだ青空を見上げ、天候が荒れることはないと確信した。  これから河川で途中まで移動し、残りは馬車を使い半日ほどでミステイル王国の王都へ到着予定だ。  今回の付き添いは、騎士が十数名と星永(せいえい)騎士が二名、同行になった。 「王子殿下。またご同行できて光栄ですぞ!」  力強い声が背中にぶつかる。振り返ると僕の見知っている二人の騎士が立っていた。 「クルグ、ロゼ。お世話になるね」 「殿下。お若いのに先日の視察のご報告、素晴らしかったです」 「ありがとう。これからも頑張るよ」  背が高く筋骨がたくましいクルグ。先日の視察に引き続き、今回も同行してくれる。槍術の達人であり、僕とクラルスの槍術と体術の先生だ。  檸檬(れもん)色の長髪に愛らしいほほ笑みを浮かべているロゼ。ルシオラの直属の先輩騎士にあたる弓の名手。武術の鍛錬のときに彼女から弓術を習っている。 「クルグ様。ロゼ様。よろしくお願いします」  クラルスは深々と頭を下げ、先輩である二人にあいさつをした。  二人とも彼と同じく星永騎士の地位だ。  星永騎士は、騎士の中から選良され、戦闘に特化した者の称号。王族や貴族の視察同行や護衛任務、危険な野獣討伐などを行っている。  生真面目(きまじめ)にしているクラルスを見たロゼが、いたずらな笑みを浮かべたのを僕は見逃さなかった。 「クラルス。最近、殿下を独り占めしていてずるいわ。私も殿下と鍛錬したいのに……。専属護衛の特権かしら?」  わざとらしい口調で話すロゼにクラルスは頬を少し赤らめている。 「ろ……ロゼ様。人聞きの悪いことを仰らないでください。リア様を独り占めしているわけではございません」 「本当に? ここ数日、弓術の鍛錬のご連絡がありませんけど?」 「まだ数日だけではありませんか……」  ロゼの予想どおりだったのか、クラルスの慌てた姿を見てくすくすと笑っていた。そのやりとりを見ていたクルグもつられて豪快に笑う。 「ロゼ殿。あまりクラルスをからかわないほうがいいですぞ。こやつは真面目ですから()に受けます」 「クルグ殿。クラルスのことはよく知っていますし。わざと言っていますからご安心ください」 「おぉ。そうでしたか!」  先輩騎士二人のやりとりを見て、クラルスは眉をさげて困った顔をしていた。二人から玩具にされている彼が気の毒だ。 「二人とも、クラルスが困っているよ。そのくらいにしてあげて」  助け舟を出すと、クラルスはほっとした表情を浮かべていた。  僕たちは視察で城を離れていたためロゼは悪戯したくなったのかもしれない。 「クルグ殿のせいで殿下にお叱りを受けてしまったわ」 「……ロゼ殿はよく舌が回りますな」  さすがのクルグも困り顔だ。ロゼの饒舌(じょうぜつ)には誰もかなわないだろう。  今回の遠征は賑やかになりそうだ。 「二人が一緒で心強いよ。長旅だけどよろしくね」  よく見知っている二人の星永騎士が同行で安心する。きっと母上が配慮してくれたのだと思う。  クラルスも僕と同じように安堵の表情を浮かべていた。
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