第1曲 黎明の伝承歌

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第1曲 黎明の伝承歌

「クラルス。みんな、無事だよね……」 「えぇ。リア様。早く陛下と騎士団長様の元へ参りましょう」  夜の色に染められている長い回廊を走っていく。  城のいたるところから、悲鳴や剣戟(けんげき)が聞こえてきた。これほど大勢の兵士はどうやって侵入したのだろう。  僕たちは階段を駆けあがり、二階の廊下へと足を踏み入れた。  そこには遊びつくされた人形のような騎士たちの亡骸(なきがら)が、いたるところに転がっている悲惨な光景。  あたりには、むせ返るような血の臭いが充満しており、思わず手の甲で鼻をおおった。  どうして。なぜ。と、目の前にいない首謀者へ疑問をぶつける。  すくんでしまいそうな足を必死に前へ動かした。 「みんな無事でいて!」  優しい風が僕のひとつに結った長い銀髪を揺らした。  木漏れ日が差し込む回廊を歩き、母上が待っている書斎へと向かう。足取りは、先日の出来事で重い。 「リア様。ご気分がすぐれませんか?」 「ううん。大丈夫だよクラルス」  僕の気持ちを察したのか、専属護衛のクラルスが声をかけてくれた。彼とは五年の月日をともにしているので、うまく気持ちを隠そうとしても通用しない。  それでも自分に言い聞かせるために”大丈夫”と言葉を紡いだ。 「リア!」  背後から僕の名を呼ぶ弾んだ声。振り返ると、ぱたぱたと軽快な足音とともに、笑顔の花を咲かせた双子の妹のセラが走ってくる。その後ろから、彼女の専属護衛であるルシオラが小走りで追いかけていた。  勢い任せにセラは僕へ両手を伸ばし、抱きついてくる。自慢のきれいな深紅の長髪が、気分をあらわすかのようにふわりと揺れた。 「こんなところで会えるなんて思わなかったわ! 今日はクラルスと手合わせはないの?」 「今、母上に呼ばれているんだ」 「……また視察?」 「わからないけど、そうかもね」  セラは眉間にしわを寄せて口をとがらせている。先日、初めての公務である視察を拝命された。  遠方の街だったので一週間ほど城を空けていた。そのため、僕がいない間セラは寂しかったようだ。  生まれてから今までずっと一緒だったので、僕と離れることを極端に嫌がっている。 「またリアがしばらく城からいなくなっちゃうの寂しいわ」 「僕もセラと離れるのは寂しいよ。でも大切な公務だからね」  彼女の髪を優しくなでると、菜の花色の目を細めた。僕たちのやりとりを見ていたルシオラは申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。 「セラ様。そろそろ帝王学のお時間なので、ご準備をしましょう」 「もうそんな時間なのね……」  セラは次期女王なので毎日勉学に忙しい。食事や同じ教科の座学以外で会うことはないので、たまに回廊で会うと全身でよろこびを表していた。  ルナーエ国は女王君主制のため、男子に王位継承権はない。その代わり父上の地位である騎士団長を引き継ぐことになっていた。  父上のような立派な騎士団長になるため、幼いころから勉学の他に武術を習っている。そして毎日クラルスや他の星永(せいえい)騎士たちと鍛錬に励んでいた。 「セラ。勉強、頑張ってね」 「うん。リア、また夕食のときに会いましょう」  セラは、名残惜しそうに僕の背中に回していた腕を解き、ルシオラとともに急ぎ足で自室へと向かっていく。  彼女たちの後ろ姿を見送っていると、クラルスからくすりと笑い声がもれた。 「セラ様は本当にリア様のことお好きでいらっしゃいますね」 「僕もセラのこと好きだよ」  双子であるゆえ、セラは好きというより特別な存在。太陽のようなセラの笑顔は、いつも僕の心を照らしていた。  ふと、評議会室のほうから話し声が聞こえてくる。会議が終わり貴族が立ち話をしているようだ。  いつもは気にも留めないのだが、今日にかぎって話の内容に耳を傾けてしまった。 「女王陛下は王子殿下を視察に向かわせたそうだ」 「まだ子どもであろう。(まつりごと)にかかわらせて、いったい何を考えているのか。お遊びではないのだぞ」  僕に王位継承権がないため軽んじている貴族が多い。こうして悪言を吐いているのをたびたび目撃していた。なかにはわざと聞こえるように話す貴族もいる。  クラルスを見やると、眉を吊り上げて貴族たちをにらみつけていた。  出ていく機会を失ってしまい、僕たちは彼らが立ち去るまで柱の陰で静かに時を過ごす。 「将来、王子殿下に発言力を持たれては面倒ですな」 「どうせ諸外国に出されるのだから、政にかかわってもルナーエ国には利益がありません」 「王都から出さずに飼い殺しにしておけばいいものを……」 「女王陛下ゆずりの容姿と品行方正なのが救いですな。剣術の鍛錬をしている暇があるのなら、女性をよろこばせることを習ったほうが将来のためだ」  耳をつんざくような笑い声が回廊に響き渡った。  僕はそのうち政略結婚の道具にされるのは重々承知だ。貴族たちは将来ルナーエ国に利益になる外交を作るため、有力国の王女と早期結婚を望んでいる。  そのため王子としての居場所をなくしてしまおうと、嫌がらせをしてくる日常的だ。  彼らが話していることは幼いころから聞いており、諦観(ていかん)していた。  不意にクラルスの手が耳に触れる。 「しばらく触れることをお許しください」  貴族たちの会話が遮断された。クラルスの気づかいには本当に感謝している。  彼は貴族たちの前に出て糾弾(きゅうだん)しようとはしない。僕の立場が悪くなると思い、そういう行為は控えていた。  クラルスの手の温かさを感じながら、静かに目を閉じる。  しばらくすると貴族が立ち去ったのか、彼の手がそっと離れた。  僕は振り返り、クラルスにほほ笑んだ。 「ありがとう。クラルス」 「いえ……。あの者たちの話など、お気になさらないでください」 「もうなれているよ」  心配をかけないように精いっぱいの笑顔を彼に見せる。  僕の護衛ではなく、星永騎士として実績を積んだほうが彼のためになるのではないのか。そう思うときがたびたびあった。  彼と視線が交わると、僕の憂いを解かすようにやわらかい笑みを浮かべる。 「リア様。陛下がお待ちです。参りましょうか」 「うん。そうだね」  僕たちは足早に母上が待っている書斎へと歩みを進めた。  扉前まで辿り着き、ひと呼吸をおいて言葉を紡ぐ。 「陛下。ウィンクリア参りました」  二人の騎士が絢爛(けんらん)な扉をゆっくりと開ける。僕とクラルスは一礼をして書斎へと足を踏み入れた。  母上は窓際にたたずんでおり、僕と同じ月白(げっぱく)色の長髪が太陽の日差しで銀の光をまとっている。  視線が合うと、母上は上品な花が咲くようにほほ笑んだ。 「リア、クラルス。そんなにかしこまらなくていいのですよ」 「いえ……。僕はもう十四ですし、公私の分別をしなければなりません」 「……よい心がけですね」  そう発した母上の声は寂しさをまとっているように感じた。  自分の母だが、謁見室と書斎では神聖な雰囲気があるので、自然と素行と言動に注意を払ってしまう。  母上は部屋の中央にある机の前まで静かに歩き、僕たちを見据えた。 「リア。あなたに一週間後、ミステイルの国王に親書を届ける役目をしてもらいたいのです」 「かしこまりました」  ミステイル王国はルナーエ国の東に位置する同盟国。十年前に同盟を結び、交友関係を築いている。  数年前、ルナーエ国で開催された交友会で、一度だけミステイルの国王と二人の王子に会ったことを覚えていた。  それ以来、僕個人がミステイル王国との交流はない。  そんな僕に親書を届ける役目を拝命するのは、僕が行くことに意味があるのだろう。 「七年前、ミステイル王国との交友会を覚えていますか?」 「幼かったので記憶が曖昧ですが、交友会が行われたことは記憶にあります」 「近々、ルナーエ国で再びミステイル王国と交友会を開催する予定です。親書はその案内状ですね。あなたに頼むのも、ミステイルの国王に成長した姿をお見せするためです」  母上の言葉に僕が抱いていた疑問が解消された。  初めての国外で、大切な親書を渡す役目。不安がないと言えば嘘になる。  しかし、隣国を肌で感じる機会を与えてもらえたのだと、前向きに考えた。 「リア。間違えや失敗をしてもいいので、経験をたくさん積みなさい」 「はい。機会を与えてくださり光栄です」 「クラルス。我が王子の護衛をお願いします」 「かしこまりました」  その後、母上はクラルスへ下がるように(めい)じる。彼だけ退室させることはそうそうない。  疑問符を頭にうかべている間に、クラルスは一礼をして書斎をあとにした。
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