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〈残雪・俺〉
廊下の突き当たりの、焦げ茶色のドアをノックする。
「ユキ、入って良い?」
俺が声をかけると、きぃ…と音を立てて扉が開き、中からユキがひょこっと顔をだした。
愛らしい動作に加え、肩まで伸びきった髪で女性的な印象を持ってしまう。
「アレ」から6年。
母さんの実家に引っ越してきた。田舎で、回りには家よりも田んぼの方が多い。
母さんのお母さん…おばさんも俺のことを快く引き受けてくれた。
(ちなみに、おばさんはΩだ。)
とてもいい人達だと思う。
「ユキ、学校の準備できた?」
俺が問うと、ユキは大袈裟なくらい大きな動作で頷いてみせる。
ユキが失語症になってから、6年経った。だが、ユキが言葉を発したことは1回も無い。
…全く良くならないのだ。
「じゃあ、行こ。時間結構やばいよ。」
声を掛けて玄関に向かっても、ユキが付いてくる気配が無い。
「ユキ?行きたくないの?」
振り返りながら問うと、ユキはそのままの体勢で、右手を伸ばしてきた。そして、口の形を横に思いっきり伸ばした。
(手、と言っているのだろうか。)
自分の手を見てみる。ユキの白い小さい手とは違い、ゴツイ手だ。
暫く、意味も分からず自分の手を見ていると不意にダッと音がして声がして、顔を上げる。と、ユキが俺に飛び付いてきていた。
「ユキ?なに?どうしたの?手?」
飛び付かれた勢いで体勢が崩れて、床に倒れ込みそうになる。
バランスを保とうと床に付いた手をユキに握られて、とうとう廊下に倒れ込んだ。
「ユキ?手、…俺なにも持ってないよ。」
俺の反応を見て、ユキが不満そうに首をふる。
俺の右手首をグッと掴むと、倒れた姿勢のまま、俺の手の甲に指を走らせた。
文字を書こうとしているのは分かるが、それよりも痒さで笑ってしまいそうになる。
(て)大きな動作でゆっくりとユキが書いていく。
(つ)(な)(ぎ)(た)(い)。
「…手繋ぎたい?」
手の甲に書き出された文字をそのまま言葉にすると、ユキはぶんぶんと首を縦に振った。
何で分からないの、と怒るように。
…ユキが甘えたがりなのは知っていたが、ここまでとは思わなかった。確かに、前例は上げればきりないほどあるが、手を繋いで登校したがるなんてのは初めてだ。
「清春?ユキ?まだいるの~?」
台所から母さんの声がして、慌てて起きた。
「今行くところ~」
俺が返事をして、まだ寝転がった体勢のままのユキを起こす。
「手繋いで登校なんて、高2にもなって恥ずかしいじゃん。」
起こしながら言うも、ユキは相変わらず手を握って離そうとしない。
…この幼さは、11歳の頃から全く変わってないな、と思わず噴き出してしまった。
俺は昔から、ユキのこの幼さも好きだった。
今日も俺が折れて、手を繋いで登校した。
握ったユキの手はとても温かかった。
〈細雪・僕〉
もう春に入って、残雪も少なくなってきたと思っていたのに今日の帰りにはまたぱらぱらと雪が降っていた。
肌寒い上に、僕も清春も防寒具なんてマフラーくらいしか無かったから。
また、登校したときみたいに手を繋ごうと強請ったものの、「恥ずかしい」と一蹴にされてしまった。
たんぼ道でふきっさらしになって、清春は寒そうにまるまっていたけど、なぜか僕は温かかった。熱っぽい…ような感じがする。
あの時、「触れたいから」と言ったら清春は手を握ってくれただろうか。
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