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仙助の逆襲・・・②
「つ……つき合うのか?」
がばっと面を上げた信太郎が、意を決した面持ちで問うてきた。
もっと見ていたかったので何回か惚けると、今度は焦れて、食らいついてくる。
「~~~だからッ!お、おきぬさんと、つ、つき合うのかと聞いてるンだ!」
口調は強いのに、信太郎の黒目勝ちの眼が潤んでいて、仙助は危うく吹き出しそうになる。
こんな風に信太郎の優位に立ったのは初めてで、正直、尋常じゃなく気分がいい。
むくむくと仙助の胸に、邪な気持ちが沸き起こる。
この男をもっと懲らしめてやりたい。泣かせたい。
……そして今ならその願いが、難なく叶えられそうな予感がした。
―何、一寸からかってやるだけだ
こっちは日頃、手間賃以上の働きを信太郎に強いられているのだ。
少しくらい悪戯をしたって、差し引いても釣りが来る。
仙助は片方の口角だけ吊り上げると、再び信太郎の前にひざを揃えて座った。
「若旦那。どうして急に、そんな野暮なこと聞いてくるンですかい?」
訝しげに問う仙助の前で、信太郎の顔が急激に青ざめる。
「ちっ、違う……ッ!私は別に―」
「本当に?何だかすこぶる顔色も悪い」
仙助が顔を覗き込もうとすると、信太郎は泡を食って上体を大きく反らした。
「ちっ、違う……ッ!お、お前はこれでも恵比須屋の名を背負た、大切な奉公人なのだ!万が一女と間違いでもおかしたら、ウチの看板に泥を塗りかねない。だっ、だから、この店の跡取りである私が、お前の女遊びも少しは知っておかないと、そう思ってだな……」
噴き出た汗を拭いもせず、御託を並べる信太郎に、仙助は胸の内で冷笑した。
何が大切な奉公人だ―
いくら照れ隠しといえども、よくそんな心にも無い事が言えたものだ。
これまで女どころか仙助自身のことですら、まともに訊ねてきた事など無いくせに。
仙助は笑みを張り付けたまま居直って、深々と信太郎に首を垂れた。
「お心遣い、痛み入ります。……良かった。若旦那がおきぬちゃんに懸想していたら、どうしようかと思いました。それじゃあ、若旦那があんまりだ。気に入りの女が自分家(じぶんち)のしがない奉公人に惚れたなんざ、恥ずかしくって目も当てられませんから」
「はは、ははは……。そ、そんなわけ、ないだろう……」
引き攣った信太郎の笑顔が、面白すぎる。
仙助はもっともっと、懲らしめてやりたくなった。
「安心してください。おきぬちゃんの事、あっしは絶対、半端はしません。誠心誠意、心を尽くしてお返事する所存でさァ」
前向きな言葉を匂わす仙助の前で、信太郎の顔があからさまに暗くなる。
仙助は心の中で舌を出しながら、更に畳みかけてみた。
「でもなぁ……。ただの一つだけ、気がかりな事があるンですよ。実はおきぬちゃんから貰った付け文が、どうも明け透けで。早々に出会茶屋へ誘ってきたり、卑猥な言葉なんかもありました。べつだん生娘に拘りは無いですが、一寸遊び女の匂いがします。若旦那の事も、色々書いてありましたし」
信太郎は、面白いくらい複雑な顔になった。
おきぬが遊び女と聞いて落胆したのと、付け文に自身の名が出て嬉しいのと、綯交ぜになったような―そんな顔つきだ。
しかし、その後暫しの逡巡を繰り返した(ように見えた)信太郎は、不意にさっぱりした顔になった。
仙助が察するに、信太郎は今まで恋い慕っていたおきぬの素性より、自身の名を記された付け文の中身の方に興味が沸いたのだろう。
現に見開かれた信太郎の眸には、先には無い、好奇心溢れる強い光が宿っている。
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