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仙助の逆襲・・・③
―飛んで火にいる夏の虫ってか
結局この男は他人より、自分が一番好きなのだ。密かに笑みを深くした仙助は、自身の懐に手を差し入れる。
そして蜻蛉柄の手拭いで巻かれた剃刀に手を添えて、刃の側面を指の腹でゆっくりと撫で上げた。
「恥ずかしい話、あっしは文を貰うまで存じませんでしたが……」
大げさに声を潜めた仙助の側に、眼を輝かせた信太郎が身を乗り出してくる。
「最近巷では、何処もかしこもつるつるな男が、粋らしいですね」
仙助の突飛な発言に、繰り返されていた信太郎の瞬きが一瞬止まった。
「何でも今は男女問わず全身無毛にするのがじわじわ来ていて、若旦那はいち早くそれを取り入れてるって、おきぬちゃんが。若旦那は何時会っても身綺麗だし、見える所に無駄な毛一つ生えていないから、きっとそうだろうって。やっぱり老舗の若旦那ともなると、流行りに明るくって洒落ものだって―そう付け文にはありましたけど」
仙助が耳打ちすると、信太郎の面差しが、とたん、困惑顔になった。
当たり前だ。
信太郎に無駄毛が無いのは、単に体毛が薄いだけだし、全身無毛なんて馬鹿な話、今も昔も一度だって流行っていない。
「あれ?その顔、もしかして初耳ですかい?おかしいなァ、若者の間だけなのかな…」
仙助の聞こえよがしに言った呟きに、信太郎の顔がカッと赤くなる。
気位の高い信太郎は、自身が三十路になって爺むさくなってきたのを、この上なく気にしていた。
「いっ、いや、違う。そうじゃない。え~と……知ってる!うん、知ってるぞ!そう、そうなのだ!今時は男でも、全身つるつるでなくっちゃぁ駄目なんだ」
「ほう、では勿論下の毛も?でも、どうやってつるつるにするンです?普段使う毛切石(昔の下の毛処理の道具)では、できませんよね。やっぱり月代を剃るみたく、コレで下の毛も剃るンですかい?……なんか、一寸怖いような気もしますが」
仙助は懐から剃刀を取り出すと、手拭いを取って信太郎の目の前に突き出した。
鈍色の剃刀の刃が、朝日に照らされ淡く光る。
「う、うん―ま、まぁそうだな。何、慣れれば別に、どうってことはないさ」
言いながら目を泳がす信太郎の顔を、仙助はジッと見据えた。
まさか懐から、剃刀を取り出すとは思っていなかったのだろう。
嫌な予感を肌で感じたのか、信太郎は着物の裾の乱れを正すように座り直した。
「見てみたいな……」
そう呟いた仙助の前で、黒目勝ちの眼が大きく見開かれた。
その眼を射抜くような眼差しで捕らえた仙助は、咄嗟に目の前の薄い肩をがっちりと捕まえる。
信太郎の表情に、羞恥と怯えの色が濃く走った。その顔を目にした途端、自身の息が唐突に荒々しくなったのを仙助は強く感じた。
「見たい。今この場で、若旦那が俺に手本を見せて下さい。何時もしている通りでいいンです。出来ますよね?出来るでしょう?もし今、"うん“と言ってくれなかったら俺…今度おきにちゃんに会った時、つい口を滑らしちまうかもしれません」
急に黒い笑みを浮かべた仙助の前で、信太郎の身体は固まった。
「ウチの若旦那、実はおきぬちゃんに惚れてンだ。でも本人が恥ずかしがるから、絶対誰にも言わないでおいてくれよ――…なんてね」
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