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「ねぇ、まだ食べてないの?」
その声にハッとして顔を上げれば、部屋着のシャツを整えながら彼女が顔を曇らせていた。視線の先には、ラップをかけられた皿と、散乱する小瓶。
ああ、しまった。あとで食事にするつもりで、それでも勢いが乗っている筆を止めたくなくて、何度栄養ドリンクをあおったのか。
まずい。彼女の晴れていた表情が、あの笑顔が消えていく。
「あ、それは……時間がなくてさ」
「時間がない? 一日中家にいたのに?」
「ほら、書いてる時のスピードが乗ってたら止めたくないだろ?」
彼女の作ってくれた料理は、ちゃんと席について彼女に感謝しながら食べたいんだ。俺のために作ってくれてありがとう、って。書いてる片手間に腹へ流し込む、なんてしたくない。
結果食べることができていないのは、本末転倒だけれど。
「今から食べるから、レンジにーー」
その言葉が聞こえなかったのか、彼女は皿を持って台所へ。そのままレンジを通り過ぎて……。
その先にあるのは、ゴミ箱だけだ。
「おい、何してるんだ! もったいないだろ!」
「食べなかったのは、欲しくないからでしょ!」
ラップで中身が落ちることは免れているが、彼女から取り上げた皿の裏側に野菜炒めの汁が回って、俺の指についた。
「違う! あとで食べるつもりだったんだ」
「毎日そう! そうよ、毎日!」
俺の手を振り払って、彼女は息を荒くしてゴミ箱を睨みつけている。
その目の向こうに、連日手つかずの皿を置いたままの俺を見ているのか?
俺は、大事にしたかっただけなんだよ。
「ごめん、ちゃんと食べるから」
「毎日言ってる」
「今から食べる。明日も食べる」
「毎日栄養剤ばっかり。どうなっても知らないから」
きびすを返した彼女の髪が揺れる。俺よりも小柄な彼女は、俺が好きだと言った髪を切らずに束ねて伸ばし続けていた。
残ったシャンプーの香りに胸が高鳴ったが、今近付いても拒絶されるだけ。
彼女が作ってくれた彩り鮮やかな野菜炒めをレンジの中に置くと、手についた汁のにおいでシャンプーの香りがかき消された。
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