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開いた窓の向こうから、小気味良く階段を上がってくる音がする。
キャリアウーマンになる、と意気込んで買っていたヒールの音は、歩くたびにリズムを刻んでいた。
その音は今の彼女の感情を表していることが多く、今日は機嫌がいい。
「ただいま〜」
「おかえり」
薄い玄関扉をあけた彼女は、やはり笑顔だった。仕事中にいいことでもあったのか、鼻歌交じりに靴を脱いでいる。
良かった。これで何の心配もせず続きに打ち込める。
彼女が脱衣所へ消えていくのを見届けてから、俺は再び机へと向き直った。
大学卒業と同時に二人で上京して、五ヶ月が経とうとしている。
俺の夢は作家だと打ち明けた時、彼女の丸い目がさらに見開かれたことを今でも覚えている。
閉鎖された空間のような何もない田舎では、自分の中にある幅を広げるような経験を積むことは難しい。
すぐにでも上京したい思いを伝えた時、彼女は笑いながら「私も行く」とだけ俺に告げた。
上京したての頃は慣れない料理を二人で覚え、決して完璧ではない家事すらも楽しんでいた。
「あの笑顔が、一番だったな」
思わず、ポロリと笑みが漏れる。
そうだ、あの笑顔に惚れて、惚れ直した。彼女のためなら、あの笑顔が守れるなら、俺は何だってできる気がしていた。
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