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帰宅したのは午後九時頃だった。
課長は当然のようについて来た。そして今夜もお茶漬けが食べたいと言い出し、食卓でお茶漬けを食べた。私も一緒に食べた。 食べながら課長はどこに行っていたのかを話してくれた。
昨日の夜、課長は自宅に帰ったそうだ。そしてつまらなそうに娘にやっぱり気づかれなかったと言い、娘さんの彼氏が勝手に課長の家に泊まった事を怒りだした。
「普通、父親が死んだばかりの家に泊まれるか? おかしいだろ。常識がなさすぎる」
「でも、娘さんが一人で寂しかったんじゃないですか? 課長と二人暮らしだったんですよね」
「妻が亡くなってから十年、ずっと二人だった。一人にしてしまって悪いと思ってる。だけどそれとこれは別だ。僕はあの男の事を許した訳じゃない。いきなり結婚するなんてありえない。しかも僕とそう年の変わらない男と」
「えっ、えっ、どういう事です?」
課長がハッとしたような表情を浮かべた。そして、三ヵ月前に娘さんにいきなり結婚したい人がいると言われて、恋人を紹介されたと話した。
恋人は娘さんが通う大学の教授で、年は四十で、課長と五つしか変わらないそう。
「何が悲しくて四十の男に二十の娘をやらなきゃいけないんだ」
課長が悔しそうにテーブルを叩いた。
「妻に先立たれて、男手一つで育てて、確かに娘には寂しい想いを沢山させて来たかもしれない。だけど僕は仕事よりも娘の事を優先して来たんだ。 娘の幸せを願って今日までやって来たのにこんな仕打ちはないだろ」
「大変だったんですね」
「大変なんて一言で言えるものじゃないよ。この十年は命がけで子育てをして来たんだ。十億円の取引よりも娘の運動会を優先させたんだ!」
課長の大げさな言い方につい笑ってしまう。
「僕は何かおかしな事を言ったか?」
「あっ、すみません。会社での課長とは別人みたいで。課長がこんなに感情的になったのを初めて見ました」
「娘の前ではしょっちゅうこんな感じだよ」
「じゃあ、会社では猫被ってたんですね」
「まあね」
課長と顔を見合わせて笑った。
「島本くんは笑ってる方がいいよ。会社だといつも不機嫌そうな顔をしてる」
「別に不機嫌な訳じゃ」
「違うの? 僕はずっと島本くんに仕事を振りすぎて怒らせてるのかと思った」
課長にそんな風に思われていたなんて知らなかった。
「怒ってませんよ。仕事はそれなりに好きですから」
課長が意外そうに眉をあげた。
「良かった。島本くんに嫌な思いをさせてなくて」
「私の事、気にかけてくれてたんですか」
「かわいい部下だからね」
かわいいと言われて頬が熱くなった。
「私なんて全然かわいくありませんよ」
「かわいいよ。島本くんが時々見せてくれる笑顔とかさ」
かわいいの一言に胸の奥が打ち抜かれた。
笑顔がかわいいなんて、男の人に言ってもらった事は今までなかった。
「からかうのは止めてください」
「僕は幽霊だよ。本当の事しか言わないよ」
課長の妙な理屈に吹き出した。
アハハと声をあげて、涙が出るほど笑った。
課長といるといつも楽しかった。何気ない一言に心が躍って、お姫様になったような気持ちになった。
「また島本くんと話せてよかった」
「茶飲み友達だから?」
「えっ」
「前に課長が言ってましたよ。『僕たちは茶飲み友達だね』って」
「ああ、薔薇の話をした時に」
「はい。奥様の薔薇を探す為にお花屋さんを二十軒回った話、素敵でした」
「まいったなー、島本くんにはつい余計な話ばかりしてしまうんだよなー」
課長が照れ臭そうに鼻の頭をかく。
「まあ、二十も年が離れてるけど、僕たちは馬が合うんだろうなー」
課長が柔らかい表情を浮かべた。
課長と視線が合って、頬が熱くなる。
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