― 温もりを きみに ―

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「何、何で……」  ベッドの上で乱れた髪を掻き上げ、ムクリと起き上がるが、日を随分超えてから眠りに付いた意識は、なかなかはっきりとしてくれない。  おそらく夢と現の堺を彷徨ったのが、三十分程。その後、霞む意識の中で、さっきの音の原因は何だったのか振り返ってみる。洗った鍋をきちんと重ねてなかったのだろうか。いや違う、昨日は塚山に呼び出され、ご飯を作り、偶然、草悟に再会し――。  長い時間をかけて、ようやくそこまで辿りついた所で、「あ」と目が開く。  普段、紬の休日は昼前まで寝ていても、誰にも咎められない。しかし、昨日、小さな子供連れと家に帰って来た事を思い出す。 「二人のご飯」  慌てて、仕事の朝にしか働かない目覚ましを見遣ると、十時を回ったところだった。  あの後、塚山を送り出してすぐに預かっている鍵で戸締りを済ませ、紬の自宅へと帰ってきた。  紬の自宅は就職してすぐに購入した、ファミリータイプの古いマンションの三階。3LDKでもエレベーター無しで、駅から遠ければ中古は安いし、独り身なら十分な広さ。何より、簡易ではない台所が付いている。  その台所へと、紬は慌てて向かった。 「悪い、すぐ、朝ごはん……」  言い終わらない内に、紬の呼吸がヒュッと音を立てて止まった。  リビングに置かれたパキラの鉢植えは、明らかに倒された後に土を戻された状態。  リビングダイニングに爽やかな光を届ける、窓に掛けられたレースのカーテンはズタズタ。挙句、おそらくは鉢植えの土を片した掃除機などで、そのままカーテンの裾を吸い込んだのだろう、そこは土色に染まってドロドロ。  目に映る全てがそんな状態で、確かな緊急事態がそこに展開されていた。 「何事ですか」  誰とは無しに問い掛けていた。  返答はないと思っていたのに、思いがけない声が聞こえる。 「本当にこれは、御見事」  振り返ると、古いマンションならではの重たい鉄製ドアを開き、そこから顔だけ覗かせた塚山がいた。 「何? 塚山さん、どうしたの」  呼び出されて数日で彼に会う事など、今までない事だった。まして、次の日に自宅を訪ねてくるなど、考えられない。 「カーテンを買いに行きたいんだけど、紬くんが起きてきてくれないし、鍵を開けたままでは物騒なので留守番役が欲しいと仰せつかったんだよね」  社長に頼む社員も社員だが、頼まれて駆けつけて来る社長も社長だろう。  どうやら塚山は、主の知らぬ内に部屋に上がり込むのも憚られ、時間潰しの為に玄関ドアを開けて、煙草を吸っていたらしい。 「紬くんの寝起き直撃作戦だね」  塚山は満面を喜色の笑みで輝かせる。自身が着ている、パジャマ代わりの、よれよれスウェットを指摘され赤面しながら、紬は視線をそらす為に部屋を見渡す。 「あの……これ、悟が……?」  あまりの惨状に、悪いとは思いつつ、犯人探しをしてしまう紬に、塚山はいつもの肩を竦める仕草を見せ、首を振った。 「その父親らしいよ。居候だけじゃ悪いから、家の事、少しでもしようと思ったって」 「は?」  あの飄々とした顔で何でもこなせそうな男からは、想像も出来ない光景が、自分の目の前には広がっている。 「うん。普段、仕事は完璧だよ。仙条が失敗している姿なんて、実は新人の頃でも数回しか見た事がない」  紬の困惑が視線から伝わったらしい。塚山は苦笑しながら短くなった煙草を消し、紬の想像を肯定しながら、部屋に入ってきた。 「でも、家事はとても残念な感じだね」  この有り様に、呼び出された事も怒らず、部下の以外な一面を面白がっているようだ。 「で、その草悟はマジでカーテン買いに行ったのか」  溜息混じりに辺りを見回しても、草悟と悟の姿は見えない。 「ちょっとね、用事も済ませてくるって。何時までもここには居られないからって」  塚山の言葉に耳を疑う。きっと紬の元を出た後の部屋を探しに行ったのだろう。  この惨状を作りだした男が、ここを出てどうやって人間的、普通の生活を送れるというのだ。その上、彼は小さな子供も抱えている。 「塚山さん、俺、無理だと思うんだけど」  ポソリと零した紬に、塚山が「そうだね」と柔らかく笑ったのと、その音がしたのは同時だった。 「知らない番号だ」  単調でありふれたコール音を発し、塚山の電話が鳴りだした。 「もしもし?」
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