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行かなければ。自分も。あの子を探さなければ。
自分は知っていたはずだ。美沙が正気じゃない事を。草悟がどれ程、悟を守りたいと思っていたかを。
知っている自分がもっと気をつけていれば、こんな事にはならなかったはずだ。
こんな所で寝転んでいる場合じゃない。
体の。――後悔の。痛みに震えている場合じゃない。こうしている間にも、小さな悟が怯えて泣いている。
紬は痛む全身を、体内に残る、あるだけの力と気力の限りで動かし始めた。
時刻は夜九時過ぎ。
迎えに行って帰って来た時刻を考えて、おそらく、悟が連れて行かれて二時間半。
動く度に全身が軋む。それでも休んでなんていられなかった。
あの子はどこに居るのだろう。
何処を探せば良いのだろう。
改めて何も知らなかった自分に愕然とする。
草悟と美沙の家には居ないのだろうか。そんなことは、草悟が一番初めに思い付いて、探しているに違いない。公園。スーパー。友人の家。浮かべては打ち消し、打ち消しては違う場所を浮かべる。埒が明かない作業を、痛む脳が繰り返す。
『草悟の家には居ない?』
数十分前に打ったメールへの返信は、未だになかった。
「ごめんな、草悟。ごめんな、悟」
痛みに呼吸も浅くなる。吐いても、吸っても全身が痺れる。顎に滴る汗を手で拭い、ぬるりと掌に纏わる感触に、初めて流血だと知った。
街灯の下、真っ赤に染まる掌を見下ろして、笑いが漏れた。
「どうりで、頭が割れるほど痛いはずだ。って、もう割れてるのか」
乾いた笑いを独りで吐き捨て、再び足を動かす。自分の事なんて、構っていられない。
草悟とは一度も連絡がつかないまま、悟を探す場所の当てもなく、紬は歩き続けた。
どれぐらい探し回っただろうか。
紬の住むマンションから、草悟と塚山の会社を超え、悟の保育園を過ぎ、同居後初めて聞いた草悟達の家までは歩いて約二時間半。
そろそろ、その辺りまで来ているはずだった。
その時。
「かすかに小さな子供の泣き声がする?」
紬はその声に注意深く近づいて行く。
頭はぐらぐらと回るほど痛い。幻聴だって事も考えられる。しかし、確実にその声は近くなってきていた。
「とと。っやぁ、かか、めんめ、めんめ」
癇癪を起したような、悟の声が聞こえる。
閑静な住宅街を抜け、そこから少し離れた場所に、探し求めた姿はあった。
すっかり夜も更け、昼間は大層賑わうのだろうそこは、この時間には人通りのない緑地公園だった。
夜闇の中、紬は何が事態急変のきっかけになるか分からないと、闇に紛れながら三人に気付かれないように近づいていく。
「美沙、悟を放せ」
美沙を刺激しない為か、草悟の口調は紬に向けられたものとは比べ物にならないほど、落ち着いたものになっている。
「いやよ。だって、この子のせいなんですもの。私がこんなに辛い思いをするのも、貴方が去って行くのも、全部、この子のせい」
言うなり、美沙は悟をぎゅうぎゅうと抱き締めると、真正面から悟を睨みつけた。
「ほら、早く、私のことを好きだと言いなさい。あんたが言えば、お父さんだって、お母さんの事を受け入れてくれるんだからっ」
そんな事はあり得ないと、正常の思考回路なら考え至るはずなのに、美沙は当たり前の事のように悟に責任を擦りつける。
「やぁなのっ、かか、めんめぇ」
必死にその形相から逃れようと悟は踠くが、ちっともその腕から逃れられない。
「そんな言葉、認めないって言ってるでしょっ! 聞き分けのない子ね! あれも嫌、これも嫌、一体何なのよっ!」
「わいわい、とと、わいの、わいわい」
「美沙っ」
草悟は、悟を激しく揺さ振ろうとする美沙を止めにかかる。
泣き叫ぶ悟は懸命に草悟へと手を伸ばし、草悟もその小さな手を握ってはいるが、悟を力いっぱい抱き込む彼女から、無理には引き離せない。
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