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― 代償 ―
頭部裂傷、全身打撲、右足骨折、トータル全治六カ月から。
「から?」
紬は医者から言われたことを、思わず聞き返した。
「まあ、まだ若いけど、酷い全身打撲もあるからねぇ。リハビリもあるし、完治にはもっと時間がかかるだろうね」
白髪混じりで、徹夜続きなのか油でくすんだ眼鏡を掛けた、初老の医者は明言をさけつつ、「だから、から」と頼りなさそうに笑った。
ある意味、その力の抜け加減が今の落ち込みがちな紬の精神状態には癒しをくれる。
「まあ、気長にやんなさい。職場も半年はデスクで良いって言ってくれてんでしょ」
――早く退院したい。
そう訴えた紬に、「頭の内部が異常なく、全身の痛みが無くなれば帰宅してヨシ」と告げられたのが、入院してから三週間目の昨日。
職場には不注意から階段を転げ落ちたと報告し、それまで精勤だった紬は、大変な同情と病休、そしてしばらくの部署内の配置替を勝ち取った。
塚山は草悟から何も知らされていないのか、入院中に一度だけ呼び出されたが、風邪をひいて体調が悪いからと断った。
『大丈夫なの? 何か美味しいものでも届けようか』
心配する塚山を遠ざけるのは至難の業だ。
「風邪うつすと申し訳ないので、いいですよ。お気になさらず。治ったら、また連絡します」
そう言って電話を切ってから、もう一週間は過ぎていた。
あれから草悟は毎日、悟を連れて見舞いに来てくれるが、悟だけを病室に残し、自分は部屋から出て行ってしまう。
「むぅ、むぅ、まんまね。まんま」
あの時、責めていないと言われたが、やはり紬のせいだと怒っているのだろうか。そうだとしても、それは至極当然だと紬は思う。それでも元気になった悟を見せに毎日病室まで通ってきてくれるのだ。
悟もあの日のショックから数日間は熱を出して寝込んだという。その事を知らされた時、紬は庇い切れなかった悟に対して、そして、託してくれたのにこんな事になってしまった草悟に対して、申し訳なさでいっぱいになり、入院後初めて面会に来てくれた二人の顔を見た瞬間、とめどなく涙が溢れた。
本当に顔向けが出来ないのは紬の方だった。
「むぅの、まんま」
今日も出ていった草悟を余所に、悟は紬のベッドに上がり込みサイドテーブルに置かれた病食を食べたがっている。
悟は偏食児童のわりに何でも一度は口にするチャレンジャーだ。
紬は入院患者ではあるが、食事制限のある病気入院ではないので比較的味のハッキリしたものも出される。
今日のビーフシチューを一口分スプーンで掬い、悟より先に口に含んだ。
「むぅ、いい? まんま」
眉を寄せ一口でスプーンを置く紬に悟が自分にもくれと催促をするので、ふぅっと冷ましてから口に入れてやる。
「さと、ごちたま」
素早い変わり身でそう言ったまま、悟は口を開けない。
「医師、やっぱり明日、退院します」
そんな様子に医者は、自分で料理をする紬にとっては退院を急きたいほど病院食が口に合わないのだろうと笑みを浮かべる。
「そう。じゃあ手続きするけど、ソフトと一番君に必要なハードが無事だったことは本当に幸いなんだから、無理は禁物だよ」
「はい」
入院直後から繰り返された全身検査の結果、脳にも内蔵にも全ての神経にも異常はなく、一番心配した腕も酷い打ち身で済んだ。
警察が介入する事態となり、被害者の紬は勿論、おそらく草悟も事情を聞かれただろう。
美沙があの後どうなったのか紬からは尋ねなかったが、一度だけ草悟から警察病院で監視の元、入院していると教えてもらった。
全身は未だに痣だらけで、自身でも見るに堪えないほど酷いが、動けないわけじゃない。
家事下手な草悟に任せっきりの家も気になる。そして何より、一人になってハッキリさせたい事があった。
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