― 好きを詰め込んで ―

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― 好きを詰め込んで ―

 塚山は帰っているだろうか。  腕時計を見て、紬は監視カメラに見張られながらインターホンを押した。 『解錠したから、入ってきて』  名前を名乗らなくても、何台もあるカメラで自分が誰かを知られる居心地の悪さに、紬はぎこちない笑が漏れる。  一歩足を踏み入れれば、緑と花に溢れた庭は別世界。外壁が外の世界とこの家を隔離していた。 「毎日見ているのに、凄いな」  隅々まで手入れの行き届いた空間には、感嘆の吐息しか零れない。 「おかえり、紬くん」  真っ白なドアの前で待ち構えていたのは、ここの主であるはずの塚山。 「塚山さん、自らお出迎えですか」 「うん。やっぱり、君の怪我の具合が心配だからね。本当に送り迎え要らないの?」 「大丈夫。通勤ぐらい動かないと、本当に体が鈍ってしまいそうで」  自分の家を草悟親子に、そして自分は塚山の家へ来てから一週間。  紬は職場復帰も果たし、塚山の家でのお客様扱いに閉口しながらも、穏やかな時間を過ごしていた。 「塚山さんは、どうでしたか」  塚山も今日、一週間ぶりに仕事再開の日を迎え、あれ以降、初めて草悟と会社で顔を合わせていたはずだった。 「紬くんが聞きたいのは、僕の今日じゃなくて、仙条の今日なんだよね」  分かっているよと笑いながら、塚山は肩をひょいっと竦めてみせる。 「もう、いいです」  からかい口調の塚山に、紬は背を向け豪奢な白いドアを開けた。  図星を指されて居た堪れない気分だ。くさくさとしながら、キッチンへと入っていく。  極僅かに感覚と味覚が戻り出していた。全て未だぼやけたままだが、サラダのドレッシングぐらいなら配分を覚えている。塚山家で使われている調味料が、紬が普段から使っていたものと同じなのも幸いした。  この家に来てすぐの頃から、塚山は紬にキッチンに立つようにと、言い続けてくれた。  躊躇う紬に、少量のものからで良いからと、普段はお手伝いさんが使用するキッチンを、好きなだけ使えるようにしてくれたのだ。  紬は今も、煮物や、メインになると、さすがに不味いものは出せないと気後れするが、前菜なら作ってみようと、リハビリも兼ねて作らせてもらっている。  今日は良いバジルが見つかったので、カプレーゼと、アボガドとスモークサーモンのバジルソースを作るつもりだ。 「塚山さん、もう食事にしますか」  フレッシュバジルを刻むなら、食べる直前がやはり良い。下拵えだけを済ませ、塚山のタイミングに合わせるつもりだった。 「仙条、離婚成立するって」  背中から追いかけてきた塚山の声が告げたのは、紬が聞いた事への返事では無く、予想外に静かで重い情報だった。  振り向いた紬の正面へ回り込まれ、下拵えは中断を余儀なくされた。 「君への暴行と、悟くんへの虐待で、親権も養育権も全て仙条で決まり」 「そう……ですか」  美沙の叫びが耳の奥に蘇り、何とも切ない思いに、喉の奥がひりひりとする。 「オーバードーズだったらしい」 「オーバードーズ」  処方薬でも、使用量、用法を守らなければ、危険な薬物と同じような作用を起こす時がある。 「その為に自身の生活は勿論、育児なんてできる状態じゃなかったようだね」  頑張り過ぎた結果だったのだろうか。だとしたら、本当に遣る瀬ない。  愛情が欲しくて。愛情を繋ぎ止めたくて。  懇願に近い叫びだった。  愛しい。淋しい。切ない。傍に居て。  同じ人を好きになった彼女を、心底嫌うことが出来ないのは、どうしてもそんな思いにシンクロしてしまうから。 「紬くんは本当に、優しいね。あんな目にあったのに」  塚山は呆れたように笑う。 「分かってしまうからかな」  自分の顔もおそらく、呆れたような笑顔なのだろう。  自分が一番傍に居るはずなのに、いつも、いつ自分の傍から居なくなるか、分からない不安を起こさせる。  だから、自分はご飯を作った。  だから、彼女は子育てに奮闘した。  それは全て、彼が笑顔になってくれるからと、自分が勝手に期待しただけのこと。  草悟の傍を離れて落ち着いて考えてみたら、そんな自分勝手な事だった。 「草悟はいつも正直だけど、正直だからこそ、ずっと自分の傍には居ないんだよな」  学生時代、不味いという一言で、それ以来疎遠になった。  再会しても、悟の事で手一杯で、恋愛どころじゃないだろう。 「そもそも、草悟は同性の恋人なんていなかったし」  色々な事を並べ、草悟を諦める理由を探している。
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