― 好きを詰め込んで ―

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 ふわりと足元から力が抜けていく。 「あ」  その場に座り込みかけた紬を、塚山が腰を抱き、支えてくれた。 『どうした、まだ、どこか痛いか』  見えない分だけ、その温かい労わりが伝わってくる。 「いや、もう、ほとんど大丈夫」  もっと、話していたい。  今すぐ、顔が見たい。  想いは湧き上がるのに、言葉が口から出ていかない。  こちらからも聞きたいのに。  最近どう。体調、崩してないか。仕事、無理するなよ。 「ズルイよね」  今まで大人しく支えてくれていた塚山が、ムッとした顔で、明らかに草悟へと届ける抗議を口にする。 「甘いよ、紬くん。仙条ってばきっと、君の好きなものも、欲しがっているものも知らないんだよ」  憤慨気味な塚山に、自分のことはいいからと、首を振る。 『紬、あのさ』 「な――ぅん……っ」  「何?」と草悟に続きを促す言葉は、そのまま塚山の唇の中へと吸い込まれた。  濡れた音をわざと響かせる、塚山とは初めての、濃厚キス。 「っはぁ! ちょっ、塚山さんっっ」  息苦しさから解放され、濡れた口元を力任せに拭いながら非難の声を向けた相手は、余裕の顔で澄ましていた。 「今度から報酬は、ハグじゃなくて、キスにしよう」  場違いなほど、明るくアッサリと放たれた塚山の科白はきっと、草悟の耳にも届いているだろう。  互いの唇が立てた、濡れた音でさえも届いているかもと想像しただけで、紬は真っ赤になった。 「紬くん、可愛い。だから、謝らないよ」  最初と最後の言葉の意味に全く脈絡がない。 「何、考えてんですか」 「酸っぱい葡萄でも、煮てジャムにしたら美味しくなるよ」 「はぁ?」 「そろそろ、覚悟決めたら」  余裕の相手に低く唸るほど、手応えのない事はない。紬は握り締めたスマホを見て、そうだと、その存在を確かめる。 「草悟、明日さ」 『悪い、紬。邪魔した』  それっきり、通話は途切れた。  紬は勢いよく、塚山の人の悪い笑顔を睨み上げる。 「塚山さん、あんた、仕組みましたね」  絶対誤解しただろう。どうしてくれるんだ。という怒りをその視線でぶつけたつもりなのに、ふふっと笑う塚山はどこ吹く風。  今さら、キスを見られたくらいでショックを受けるほど可愛い性格はしていないが、さすがに状況と相手は選びたい。  好きな人の耳元へ、自分の濃厚キスの音が届いたとなると、羞恥と絶望に頭を抱える。 「聖夜の神様に祝福を受ける者は、幸せになれると信じているんだ」  軽やかに笑うと、爆弾を落とした張本人は紬一人を残して、爽やかにキッチンを後にした。  自身の本来の勤務を終えた後、強硬手段に出て来た塚山の家を後にして、紬は一週間ぶりに自宅へと帰ってきた。  最初の言葉通り、部屋には塚山家のお手伝いが掃除に入っていてくれたと聞いている。 「ただいま」  紬は何の気なしに、玄関ドアを開いて驚いた。その部屋は、あまりにもスッキリとし過ぎている。  何といっても、小さな子と家事下手な人間が住んでいる生活感が、全くない。  前は悟のおもちゃが転がり、草悟のスーツが鴨居にかかっていた。  そのどれもが、一切無くなっている。  塚山家の人が、押し入れや収納ボックスに入れてくれたのかと、あちらこちらを開けてはみるも、自分の物ばかりで、寧ろ少ないくらいだ。  紬はスマホを取り出した。  時刻は塚山の会社も、一応は終業時間を迎えている。  呼び出しコールは少し長く続く。  待つという作業は、その時間がたとえ僅かであっても、悪い方へと思考が流れ、心が折れかける。 「出ないか」  もう少し。もう少し。と考えて呼んでいても、実はコールが鳴ってはいけない場所で、鳴っているのではないかとか、もっと早く諦めろと思われているのではないかとか。
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