― 好きを詰め込んで ―

5/5
364人が本棚に入れています
本棚に追加
/37ページ
「駄目だな」  紬は諦めて耳からスマホを離した。そのコールを自らが切ろうとした瞬間、鳴っていたはずの音が聞こえない事に気が付いて、寸でのところでボタンを押さずに済む。 「……草悟?」  あまりにも静かな向こう側に、本当に繋がっているのか、不安になりながら問い掛ける。 『紬。何?』  こんなにそっけない、「お前、誰?」と言われてもおかしくない声を、再会してからは聞いたことがなかった。 「あ、いつ、ここ出たのかと思って」  ついぎこちない言葉を紡ぐと、何かを堪えたような、歪な吐息が聞こえる。 『昨日、あれから帰って』  “あれから”というのが、残業を指すのか、弁当の配達を指すのか、塚山とのキスを指すのか、紬には分からなかった。 「そうか」  紬にはそれしか言えなかった。  もっと傍に居たかったとか。  もっと、ここに居てくれて良かったのにだとか。  それは草悟の足を引っ張ることでしかないと、分かっている。――分かっているけれど。 『また、改めて挨拶に行くつもりだったんだけどさ。巻き込んで悪かったな』  謝って欲しくて、電話したんじゃない。 『社長との事も、邪魔して悪かった』  そんなことを言われたかったから、電話をしたんじゃない。  紬の中の何かが、音を立ててぶち切れた。 「草悟、お前、今どこ? 会社?」  急に声のトーンが変わった紬に、草悟が戸惑うのが分かった。 『そう、だけど』 「そこで待ってろ」  言っているそばから、紬は車の鍵を握り締めて部屋を出る。  何で好きな奴から、好きではない人との関係を邪魔したと、謝罪されなければいけないのだ。  そう仕向けた塚山も塚山だが、草悟に対して何も言えなかった自分にも腹が立つ。  警察車両がいれば確実に違反切符を切られる速度で、紬は塚山の会社に乗り込んだ。  待っていろと言ったものの、本当に正面玄関で待っているとは思わなかった。  無言で動きの悪い足を引き摺りながら正面玄関フロアーに乗り込んでいく紬を、帰路につく他の社員達が不思議そうに振り返る。受付にはもう人は居らず、クローズの札が出ているのみだった。  その前で二人対峙すると、紬は草悟の胸倉を掴み、顔を寄せて微笑んだ。 「塚山さんとの関係に、お気使い有難う」  仰け反る草悟は後ろに重心を掛けながら、紬の重みをも受け留める体勢になっている。 「まったく、そんな関係じゃないけどな」  その腕にこの身を抱いて、しっかりと紬を見下ろしている瞳には困惑の色しかない。 「人の話は、ちゃんと聞けよ」  紬は深く息を吸い込んだ。  それは微かに、草悟の匂いが混じる、愛しいものへと変化する。 「俺は、お前が好きなの」  草悟の瞳が驚きに光る。 「もう学生の頃からずっとな。塚山さんは、その事も全部分かってる」  俯きかける視線を、どうにか草悟へと繋ぎ止めていると、彼の顔が苦々しげに歪んだ。 「なんで塚山さんが知ってて、俺が知らないんだよ」 「馬鹿だな。お前に知られる時は、俺が告白する時だろ」  今みたいにな。紬はそう言って、草悟の胸倉を放した。 「俺達、友達だっただろ」  草悟は何かを確認するかのように、紬の顔を覗き込む。 「友達でも、好きになったんだよ」  紬はキッパリと、鮮やかな笑顔で言うと、放心したまま動かない草悟に背を向けて、「じゃあな」と手を振った。
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!