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「駄目だな」
紬は諦めて耳からスマホを離した。そのコールを自らが切ろうとした瞬間、鳴っていたはずの音が聞こえない事に気が付いて、寸でのところでボタンを押さずに済む。
「……草悟?」
あまりにも静かな向こう側に、本当に繋がっているのか、不安になりながら問い掛ける。
『紬。何?』
こんなにそっけない、「お前、誰?」と言われてもおかしくない声を、再会してからは聞いたことがなかった。
「あ、いつ、ここ出たのかと思って」
ついぎこちない言葉を紡ぐと、何かを堪えたような、歪な吐息が聞こえる。
『昨日、あれから帰って』
“あれから”というのが、残業を指すのか、弁当の配達を指すのか、塚山とのキスを指すのか、紬には分からなかった。
「そうか」
紬にはそれしか言えなかった。
もっと傍に居たかったとか。
もっと、ここに居てくれて良かったのにだとか。
それは草悟の足を引っ張ることでしかないと、分かっている。――分かっているけれど。
『また、改めて挨拶に行くつもりだったんだけどさ。巻き込んで悪かったな』
謝って欲しくて、電話したんじゃない。
『社長との事も、邪魔して悪かった』
そんなことを言われたかったから、電話をしたんじゃない。
紬の中の何かが、音を立ててぶち切れた。
「草悟、お前、今どこ? 会社?」
急に声のトーンが変わった紬に、草悟が戸惑うのが分かった。
『そう、だけど』
「そこで待ってろ」
言っているそばから、紬は車の鍵を握り締めて部屋を出る。
何で好きな奴から、好きではない人との関係を邪魔したと、謝罪されなければいけないのだ。
そう仕向けた塚山も塚山だが、草悟に対して何も言えなかった自分にも腹が立つ。
警察車両がいれば確実に違反切符を切られる速度で、紬は塚山の会社に乗り込んだ。
待っていろと言ったものの、本当に正面玄関で待っているとは思わなかった。
無言で動きの悪い足を引き摺りながら正面玄関フロアーに乗り込んでいく紬を、帰路につく他の社員達が不思議そうに振り返る。受付にはもう人は居らず、クローズの札が出ているのみだった。
その前で二人対峙すると、紬は草悟の胸倉を掴み、顔を寄せて微笑んだ。
「塚山さんとの関係に、お気使い有難う」
仰け反る草悟は後ろに重心を掛けながら、紬の重みをも受け留める体勢になっている。
「まったく、そんな関係じゃないけどな」
その腕にこの身を抱いて、しっかりと紬を見下ろしている瞳には困惑の色しかない。
「人の話は、ちゃんと聞けよ」
紬は深く息を吸い込んだ。
それは微かに、草悟の匂いが混じる、愛しいものへと変化する。
「俺は、お前が好きなの」
草悟の瞳が驚きに光る。
「もう学生の頃からずっとな。塚山さんは、その事も全部分かってる」
俯きかける視線を、どうにか草悟へと繋ぎ止めていると、彼の顔が苦々しげに歪んだ。
「なんで塚山さんが知ってて、俺が知らないんだよ」
「馬鹿だな。お前に知られる時は、俺が告白する時だろ」
今みたいにな。紬はそう言って、草悟の胸倉を放した。
「俺達、友達だっただろ」
草悟は何かを確認するかのように、紬の顔を覗き込む。
「友達でも、好きになったんだよ」
紬はキッパリと、鮮やかな笑顔で言うと、放心したまま動かない草悟に背を向けて、「じゃあな」と手を振った。
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