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涙ながらに訴える悟の声は、見ているこちらまで切なくなってくるほど震えていた。
「やっぱり子供の話し方は可愛いけど、分かり難いね。わい? とと?」
既にワインを片手にしている塚山もその様子をじっと見守っていたが、どうにも悟の悲愴感が気になったようだ。
「怖いって意味です。怖いの、父ちゃん怖い怖い。食べるのが怖くなったんだよな」
表情には出さないように笑ってはいるが、どうしたものかとの苦慮に草悟の顔が曇る。
「食べるのが、怖い?」
「恐らく、一口目が大丈夫なら泣きやむ。ほら悟、ととも食うぞ」
悟に向かっている言葉に、紬はビクリと体を硬直させた。
草悟の口へと、紅いパスタが一口入って行った瞬間、思わず目を瞑らずにはいられなかった。
――不味い。
頭の中で響く声に、呼吸が浅くなる。鼓膜を打つ脈拍で耳が痛い。頭も痛い。
こんなに緊張するのも久しぶりだ。
遠くなりそうな意識の中で、落ち着いた声が聞こえた。
「美味い」
ふわりと酸素が肺に届いた。
「え?」
明るい視界に瞳を大きくすると、フォークを持った草悟が二口目を口に運んでいた。
「ん、美味いな」
そう言って草悟は、紬を見た。
「えぇ?」
あれだけ欲しかった言葉が聞こえる。
「やっぱり、紬の飯は美味い」
さも当たり前、と言いた気な顔で放たれた草悟の科白に、紬は放心するしかない。
「うわ、今のって、本当に人が悪いよね。そんな顔で褒め言葉使って営業回られたら、先方も落ちるはずだよ」
「業績アップで喜ばしいでしょ? 社長」
「それが嘘臭いんだよ仙条は。その社長ってのも、わざとだし」
「慣れれば嘘臭く聞こえませんよ、普段からお呼び申し上げましょうか」
社長と部下なのに、慇懃無礼で言いたい放題の掛け合いは、普段からの関係の良さを物語る。
「草悟と塚山さんって、会社でもそんな感じ?」
「こんな感じ。塚山さん、社長って呼ばれるの嫌がるし」
「だって社長ってポジションに納まっていたら、会社内の風通しも悪くなりそうで嫌なんだよ。部下にも意見はあるだろうし、聞くのはチャンスって言うしね」
「にしても、フランク過ぎです」
呆れを交えた草悟の諌める言葉に、塚山はおどけたように一つ肩を竦める。
「仙条のお陰で、僕は社員から距離を取られずに助かっているよ」
言葉尻を取られ、暗に、お前が一番フランクに接してきているのだと言われた草悟は、それでもそれが叱責ではないと、正しく受け取り、「まぁ、こんな部下ですいません」とさらりと答えている。
塚山と呆気に取られるほど早い応酬を掛けあいながらも、草悟は次々とパスタを征服していく。
「悟」
そんなパスタを口に運ぶ草悟を、胸元から不思議そうな顔で見上げる悟に、優しく呼びかけた彼は、そっと、短く切ったパスタをのせたスプーンを口元へ寄せた。
急かすでもなく、無理やり口に突っ込むのでもなく、悟が口を開くまで待ってやる。
「食べなさい」とも「口を開けなさい」とも言われずに寄せられたスプーンを、じっと見つめていた悟がようやく、極僅かに口を開けた。
小さく、小さく開いたその口に入ったのは、数本のパスタと、少し小さく揃えた数種類のキノコのどれか。
「そんなで、味なんて分かるの」
塚山が笑いながら悟に問い掛ける。
「まんま、んまんまんま」
一瞬で花開く、小さな笑顔。
「紬、美味いって」
「それは良かった。悟、食べられるだけで良いからね」
悟は頷くと、ようやく草悟の膝から降りて自分で食べ始めた。
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