― 温もりを きみに ―

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「早く、僕の恋人になってしまえばいいのに。いくらでも、甘えさせてあげるよ」 「塚山さん」  それ以上、この遣り取りは止めて欲しいと目で訴えると、軽く流すように微笑まれた。 「分かっているよ。子供の前でする話しじゃないからね。でも、諦めた訳じゃないよ」  それでも最後の言葉には、ちらりと揺れる炎の様な熱さが混じる。  いっそ今のこちらの状況を見て諦めてほしいところだが、逆に本気になったのは言う間でもないようだ。落ちない相手ほど燃えやすい性格に、そろそろ気付いても良い頃な気がするが、当分、塚山は気付きそうもない。  眠っているとはいえ、悟の存在がどうしても気になってしまう。  大して大きな声で話しているわけでもないし、起きたところで、大人の会話の内容全部が分かるとも思えないが、ついつい視線を悟に遣ってしまう紬に、草悟が笑った。 「これくらいじゃ起きねぇって。母ちゃん、もっと怒鳴ってたもんな」  言葉通り寝入る悟の頭を撫でながら、草悟は苦く嗤った。  怒鳴られ慣れている幼児なんて、あまり芳しくない。 「悟がまったく俺に似すぎてて、好き嫌い激しいのなんのって。今日、紬の飯も食うかどうかは、実は半々だった」  正直な草悟の告白に、紬は深く頷いた。 「やっぱり、偏食家だったんだな、仙条。道理で試食担当、受けたがらないわけだよ」  「なのに、飲食会社に就職したのか」と塚山が苦笑している。 「嫁に作ってもらえば、男は嫌いな物も食べられるようになるって言うだろ」 「一般論だって、分かってるだろ」  分かってはいる。当然、誰もがそれに当てはまるとは言い難い。 「生まれてこのかた直らなかったものが、そんな数年で直るかよ。だから、悟の偏食は俺のせいだと嫁は言う」 「尚更、草悟の偏食なんて最初から分かってた事だろ」  分かっていて結婚したのに、子供の悪いところは全て相手のせいになるらしい。 「そ。でも息子の事を思う母親は、それが許せない。まぁ、それも愛」  一つ溜息を吐いて、再び草悟は優しく悟の頭を撫でる。その慈しみ溢れる体温は、今、悟だけのものだった。 「あれも、これも食べさせてはみるが、べぇべぇ吐かれたんじゃ堪ったもんじゃねえだろ。彼女も一応、料理の腕には自信があったみたいだし」  草悟はちゃんと、彼女の事も理解している。全てを理解しながら、一番弱い守るべき存在を囲ったのだろう。  その潔さに惹かれる。強さに惹かれる。  ちゃんと、守るべきものを知っていて、ちゃんと守る方法を考えている。 「で、とうとう今日、クリスマスだからって腕に縒りをかけた料理を吐き出され、一気に爆発。やってられんと、そのまま離婚届まで差し出されましたとさ」  わざと軽い口調でおどけて見せる草悟に、苦味を感じるのは、何も口に含んだアルコールのせいだけではない筈だ。 「……で、今の状態?」 「そ。仕方ないな。俺も嫁がノイローゼ気味になってきてるのに、仕事ばっかで手伝ってやんなかったし」  溜息とも、苦笑ともつかない、重い吐息が零れ落ちた。 「コイツには苦しい思いさせたな。ほんと、謝るのは、俺の方。ごめんな」  どこまでも優しい父親は、小さな宝物にそっと触れて酒を煽った。  自分の弱さを悔いて、幼い子供にも詫びる。  自分が悪いと思ったら、全ての責任は自分で背負う草悟は、昔も今も変わらない。 「仕事にかまけさせたのは、僕のせいでもあるね。僕も悟くんには謝らないといけないね」  ずっと黙って一人語りを聞いていた塚山の言葉に、草悟が驚いた顔で首を振った。 「止めてくださいよ、塚山さん。仕事にかまけたのは自分の責任です。実際、俺、家から逃げたかったし」 「でも、新店舗二つのコンセプト任せっきりにしちゃ、上司失格。どちらにしても、仙条、悟くん抱えることになるんだよね」 「だからって、降格とか、仕事分担とか言わないでくださいよ。俺やりますからね」  言葉を先回りして意気込む草悟に、塚山は可笑しそうに笑う。 「そんな事言わないし、言えないよ。仙条の力が一番必要なのは僕の方なんだから。でも、そうだな、コンセプトが仕上がったら、部下も使える人間を数人増やしてあげる」  塚山の提案に、草悟はしっかりと頷いた後、くるりと紬の方へと向き直った。 「で、家なんだけど、しばらくお前ん所、居候させて」  突然の申し出に、紬は呆然とした。
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