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ためいきの街
いつだって幸せで、みんなそうだと思っていた。
陽光の透ける木々の葉、夕陽に染まるビルの群れ、くぼんだ街のむこうからは、白い光と共に太陽がのぼってくる。灰色の海、雲間からさす線状の光。
エリの瞳に映る世界が光にあふれているように、マリの瞳に映る世界にも、光があふれていると思っていたのだ。
「残念だったね」
「たまにはそんなこともあるよ」
「また明日。元気だしなよ、エリ」
部活が終わり、帰路を行く。今日、美術部では絵画コンクールの結果発表が行われた。コンクールの結果でみんなを驚かしたのはエリと、双子の妹のマリだった。
渦巻くように登る坂を、ひとりのろのろと歩く。なぐさめる友人の言葉はエリの耳をかすめただけ。どこへも消えていかない違和感が、無遠慮に鳴り響くクラクションみたいに、エリの心臓を打ちつける。
「入選したのは加納マリ君の作品です」
先生の声と同時にマリの絵がスクリーンに映し出された。歓声と拍手があがった。
毎年秋に開かれる市主催の絵画コンクール。出品された作品の品評会と結果報告を、出品前にあらかじめ取り込んでおいた画像を観ながら行うのは、美術部の恒例行事だった。
油臭い教室にざわめきが走った。驚きの声があがった。
「どうして」
エリのつぶやきを、友人たちは取り違えて聞いていたかもしれない。
『どうして、あたしの作品が入選していないの?』と。
エリは小さなころから画が好きだった。毎日でも、いつまででも画を描いていられる反面、勉強や運動は全くダメで、好きになれなかった。
描いた画を市や企業主催のコンクールに出品しては、入賞や、入選を繰り返していた。
結果が出せることを才能と呼ぶのなら、そのことを否定はしない。エリには画の才能がある。ただ、それが特別なことだとエリ自身が思ったことはない。偶然にも画だけは最後まで描きあげられた、というのがエリの本音だった。他のことには興味が続かないのだ。
輝く彩り、人は言う。きらきらしてる、光のダンス、そんな風にも。特に意識しているわけではなかったが、エリ自身の瞳に映る世界をキャンバスに描くと、自然とそうなるのだった。
ものには全て色がある。色には必ず光がある。
エリのみる世界は光にあふれていて、素敵な光を見つけると描かずにはいられなくなるのだ。
描きあげた画を誰かに観て欲しくて出品し、結果が出た時はみんなが喜んでくれてよかったと思う。それがエリの、画との付き合い方だった。
虚ろな気持ちのまま品評会を終えて友人と別れ、家の門をくぐる。友人たちとマリがいる美術室で『どうして』の続きを口にはしなかった。
できなかった。
でもエリは、本当はこう言いたかったのだ。
『どうして、あたしの絵にマリの名前がついているの?』
困惑するエリの視線を感じていたはずなのに、マリはちらりともこちらを見はしなかった。
あたしの勝ち。
そんな顔で腕を組み、いつもどおりの勝ち気で、魅力的な笑みを浮かべたまま、友人たちの真ん中に座っていた。
暗い玄関で靴を脱ぐ。父はまだ、街にある画材屋にいるだろう。マリの靴はなく、ほっと胸をなでおろす。会って何を聞くべきなのか、今のエリにはわからない。
廊下の奥の台所からは、母が包丁をあやつる音が聞こえてくる。いつだって、母のいる家からは幸せな音がする。
エリは身体の力が抜けて、玄関を上がったところで耐え切れずに座り込んだ。
靴箱の上には、飾り気のない木の額縁に入った一枚の画。『街』という題名の書かれた紙が、額縁の裏板に貼られていることに気づいたのは、双子が四年生になった夏だった。
緻密な、それでいてどこか懐かしいタッチの街の画が、双子の画の始まりではなかったか。
ふたりの画がまだお絵かきだったあのころ、絵を描くことは共通の幸せではなかったか。
重たくなった瞼をおろす。玄関に差し込む夕陽の赤が、瞼の裏に映る。
赤い残光の中、歌が聞こえる。
空をみあげて
ためいきをついてみて
すぐにみえるはずよ
あの街が……
エリは瞼の裏によみがえる、夕暮れの空を見上げた。
今まで、この瞳は何を見てきたのだろう。
くずれかけた城壁
からっぽの玉座
煙のない煙突
音のならない楽器
ふたりはいつも同じ。
ふたりは、光にあふれた幸せな世界を見ていると思っていたのに。
ためいきばかりのこの街で
あなたは何かをかえるのよ
ためいきばかりのこの街を
あなたが何かにかえるのよ
エリの口から大きなためいきがこぼれた。
ここはためいきの街……
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