夢を見ていた恋しいと

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ひとりっ子で、兄弟もいない。 親戚付き合いもそこまで親密にしてこなかったのは、自分が正社員で働いているわけでも、ましてや独立し、結婚し家庭を持って子を成してと、そういう人並みの人生を送れなかったから。 いつの間にやらそれなりには親しかった筈の親類との付き合いは薄くなり、そう、元の原因といえば、母が伯母に貸した金銭面でのトラブルも大きかったのかもしれない。 伯母夫婦は、どちらも公務員で年金には困っていなかった筈なのに。 何故か金を無心する電話を朝から晩まで掛けてきた。 人の良い母は、伯母の頼みを断りきれなかった。 お前しかいないんだ。そう懇願する姉を放ってはおけず、気付けば数万円が数十万円、 数年後には、三百万円と増えていった。 今までは傍観していた父が見兼ねて、伯母夫婦の家に出向いた。 隣の市までは、車で約三十分の、十キロだ程の距離。 不思議なものである。 父が母の実家を訪ねることなど、基本は年に一度、正月だけであったというのに。 あの雪が降り始めたばかりの十一月下旬、タイヤ交換はちょうど先週終えたばかりであった。 いつものように喧嘩をした、ヘビ男(伯父のことである)を殺したいという伯母の電話を受けた母が泣いていた。 父は、某大型会員制倉庫店で購入した、マフィンを半分持って、チョコレート味と紅茶味を手土産に家を出た。 二人の様子を見てくると、珍しく自らの意思で祖父母が亡くなってから寄り付かなくなっていた母の実家へ向かった。 そうして、そのまま、帰らぬ人となった。 たまたま、いや台所に包丁が放置されていることなど、何らおかしいことではない。 運が悪かったのだろう。 怒り狂った伯母が、伯父の腹を刺そうとした。 それを咄嗟に避けた伯父は、七十六歳と後期高齢者ではあったものの、毎日新聞配達をするなど足腰が丈夫であった。 伯父はその凶器を避けた。 その背後に、のこのこと、無防備に、言い争う声に急いで、冬なのに開けっ放しになった窓から声を聞き、施錠されていない玄関を開けた父は、伯母が両手でしっかりと持つ包丁に右腹を刺された。 勢いがあったらしい、動揺しすぐさま抜かれた父の身体からは、血飛沫が上がった。 出血死だった。 職場に電話が入ったのだ。 ーー笠元さん、お母さんから電話です。 上司は焦ったように外線を回した。 笠元は携帯電話を所持していたのだが、あまり使用することはなかった。 持っていても掛かってくる知人など、いなかったから。 だから、父が運ばれたという病院で、遺体を見て、警察の話を聞きながら状況説明をと、泣き叫ぶ母に、どのくらいの時間が経ったのだろうか。ふらふらと嗚呼、職場に明日以降の休みを伝えなければと、携帯電話をカバンから取り出したとき、初めて気付いた。 何十回もの着信が、母からあったことを。 笠元の職場から母の実家は、車で十分も掛からない距離だった。 父の様子を見て来てほしいと、留守電が入っていた。 心配だから、様子を見て来て。母さんも一緒に行けば良かったかも。 ぽつ、ぽつ、とメッセージが数回あった。 もし、と、もし、と。あの時、笠元が電話に出ていたのならば。 消音などせずに、マナーモードにでもしていれば、バイブ音が、何度もカバンから、カバンを入れた机の引き出しの中から、あの震えに気付いたのならば、何か変わっていたのだろうか。 呆気なく死んだ父と、東北の田舎で起きた事件は、地方のローカル番組ではもちろんのこと、全国区でも取り上げられた。 父が伯母と不倫していたとか、泥沼三角関係で、痴情のもつれと、随分と愉快な見出しを目にしたものだった。 伯母は、元より心療内科に通っていたこともあり、不起訴となった。 伯父とは離婚した。その後、あの大きな家を売り払い上京して息子夫婦への元へ世話になった。 伯父は、見知らぬ誰かと再婚した。二十以上も年の離れた、飲食店を経営する女だった。 二人は、倖せに老後を過ごしたらしい。 母は、不幸せになった。当然だ、自分を責めた。 責めるなと言っても、無理な話だった。 当然、借金の返済はなかった。 家を売った金が幾許か、入ったのか、それは世話になる息子夫婦への持参金として大半はそちらに流れた。 息子夫婦、つまり笠元の従兄弟は、著名人が通うような大きな総合病院で働く医者であった。 自分に都合の良い弁護士も、代理人も容易するのは容易いことだった。 田舎で日々を生きるのに手一杯な笠元たちとはレベルが違った。 ならば、何故、自身の母に金銭を工面してやらなかったのかと電話で問うた。 妻の機嫌を損ねるから。 たったの一言であった。 ただ、それだけであった。 謝罪の言葉ひとつなかった。
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