彼は特別の意味に気づかない

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彼は特別の意味に気づかない

 cometの看板の明かりは既に消されている。そうして本来の閉店時間の頃合い、甲斐と天音以外の全員が完全に潰れていた。神田のいびきは聞こえてくるし、玲二などは時々寝言など漏らす。カウンターで片付けをしていた甲斐と天音はその度に顔を合わせて笑いを零していた。甲斐は遠慮したが、手伝うと言って譲らない天音に負けて、仕方なく片付けを手伝ってもらっている。  この六人の中で、一番酒に強かったのは天音だった。まるで顔色が変わらない。甲斐とて結構酔っているというのに。  結局甲斐を押し切って、天音が酒に強いとわかるとショットガン大会が開催されてしまった。嬉しそうにいくらも煽る天音はとても楽しそうだった。そして一向に酔わない。そもそもその前にも散々酒を煽っている。顔色も変わらなければ、テンションも飲む前から変わらないまま、甲斐以外を潰した。 「天音ちゃん、本当に酔ってない? 大丈夫?」  何度も甲斐はそう聞くが、本当に天音は酔っていないから、最終的にこんな文句を垂れた。 「酔う気分が味わえなかった!」  いささか不服そうで、甲斐は苦笑いを浮かべたが、釘はちゃんと刺した。飲兵衛の集まりの中で言うのもどうかと思うが、飲み過ぎは体に良くないと。  天音は酔ってはいないけれど、片付けを始めてから、浮ついた気分でいた。最高の誕生日になったと、自分が潰したみんなに感謝したいくらいだ。  甲斐と二人きりで会話をすることは今日が初めてのことであった。見つけた一番綺麗を独り占めしているのだ。  残りが洗い物だけになった時、甲斐が言った。 「天音ちゃん、洗い物お願いできる? 俺拭くから」 「逆の方がいいと思いますけれど」  そう言って天音がくすくす笑ったから甲斐はばつが悪い。そうして、天音はイタリアンレストランでバイトをしている為、グラスを磨くのに慣れている。あ、でも、と天音は思った。甲斐の綺麗な指を間近で見られる機会でもある。 「うーん、洗い物にします」 「なあに? そのうーんて」 「なんでもないですよ」  そう言って微笑んだ天音の表情はひどく美しく、甲斐は呆気に取られてしまった。まだグラスを手にする前でよかったと思うほどに。  二人ともそれぞれの心地よさを感じながらグラス類を片付けていく。甲斐は自分が酔っている自覚がなく、酔ってるのかなと今頃になって思ってみたけれど、天音と二人という心地よさに、酔っている線は勝手に却下した。ただ、嬉しいだけだと思い込んだ。こうして二人きりで過ごすことに甲斐も喜びを感じている。  天音はあまねとは今は違うけれど、甲斐は同じようで、そうしてまるで違うような、曖昧な感覚で彼女に接していた。抱える気持ちも同じだった。しかし、彼自身はまるで気付いていない。この男は相変わらず自分ごとには鈍感だ。ただ天音が妹のように可愛くて、時々とても美しくて、そんな自覚しか覚えていない。
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