語らいは必要としない

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 甲斐は悩んでいた。酒を初めて飲む天音に何を出すべきか。みんなを放って置いたらとんでもないものを初っ端から飲ませそうな気がする。  手隙の間にじいっと彼は神田を眺めた。  間違いなく一番とんでもないことを言うのは神田だろう。  天音は絶対に酒に強い確信がある。根拠はないが間違いない気がする。それがみんなの共通認識であった。  頃合いを見計らって誠が甲斐に尋ねた。 「そろそろダメ?」  神田と天音がうざいと言いたいのだろうと甲斐が苦笑う。  店内には数人の常連客のみ。  本当は早めに店を閉めて内輪だけでと思っていたが、「いいよ」と甲斐は言った。彼ら以外の客が面白いことが始まると期待してにやにやしているからである。 「でさ、甲斐。今日はあいつら何する気?」  案の定そう訊かれた。彼らはなんやかんやと理由を付けては馬鹿騒ぎを起こす。他の常連客も巻き込んで大人数で騒ぐことも年中であり、cometは貸し切りとなる頻度が高い。 「今日、天音ちゃんの二十歳の誕生日なんだよね。まあ、要するに誕生日会」 「……え、天音ちゃんて未成年だったの?」 「そうだよ。大人びて見えるけど、まだ大学二年生」  帰る前に祝い一杯と言いかけたその客に甲斐はやめた方がいいよと告げた。首を傾げられたから開店からの経緯を説明してやるとからからと笑われた。 「なんだか嫌な予感しかしないんだよ。だから店閉めてからにしようと思ってたんだけどさ」  そう言って甲斐はカウンターの奥の方に居座る親友たちに目を遣った。どうにも玲二が一番うずうずしているように見える。 「甲斐さん、テキーラ!」 「甲斐、ショットガン!」  天音の声と神田の声が同時に飛んできて甲斐はぎょっとした。  誰か止めてほしいと他の面々を見ると、玲二は目を輝かせているから当てに出来ない。迅と誠に思い切り視線を逸らされた。止める気がない。  眉間に皺をわざと寄せて彼らの前に移動するも、見慣れたその顔など誰も気にしない。天音にあまり見せたくない姿でもあるから直ぐに眉間を解したけれど、苦言は言わずにいられない。  天音に釘を刺すべきか、神田に釘を刺すべきか。勿論、両方必要だ。 「かんちゃん、天音ちゃんが強いかどうかまだわからないでしょ。で、天音ちゃん。テキーラがどんなお酒かわかってる?」 「もちろん!」  目を輝かせてそう言った天音の果敢さと強気の姿勢に甲斐は時々はらはらする。勝気なのは構わないし、考えなしでないことはわかっている。親友たちは考えなしに天音を自分たちの馬鹿騒ぎに巻き込み、天音は天音で常に楽しそうだが、心配も付き纏う。  親友たちはショットガンを始めると、きりがない。全員滅法酒に強く、潰れることは滅多にない代わりに飽きるまで続ける。それに付き合わされる甲斐も酒に負けることは滅多になく、途中で抜けることは叶わない。店の状況を鑑みた上で始められるから、逃げる理由もいつもない。  天音はショットでテキーラを煽る彼らをいつも羨ましそうに眺めていた。早く自分もその中に入りたいと彼女がもどかしくおもっていたことは見ていればよくわかる。だからといって、初っ端からテキーラをショットで飲ませるなど恐ろしい。  そんな甲斐はある手を思い付いた。 「ねえ。俺、シェーカーが振りたい」  ちょうど良いことに、来る客の殆どがウィスキーを嗜む者ばかりで、今日の甲斐はまだ殆どシェーカーを使うカクテルを作っていない。  天音は彼らに誘われなくても、バイト終わりに年中cometへやって来る。座る場所はカウンターの片隅。甲斐が作ったノンアルコールのカクテルをいつも静かにゆっくりと楽しむ。甲斐の酒を作る時の手つきを綺麗だなと思いながらいつも見つめる。  甲斐は知らずに、綺麗だなと静かに過ごす天音を時々見つめる。  ショットガンを譲る気がない神田と苦言を吐いた甲斐が睨み合っている間、天音は甲斐の手をじっと見つめていた。 「……甲斐さんにお任せします」  折れた理由は心地好さそうにカクテルを作る甲斐が見たいからだ。
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