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おわりに染まる空
春の音は、いつもと同じ日常の音であった。
奏は耳に届く音に当たり前の終わりを感じていた。
愛する義姉と一緒に居ることが出来たのはたったの一年半くらい、結局独り占めできていた二人だけの時間は直ぐに手放さなければならなくなった。
無事に志望校への進学が決まった天音は常にその大きな目を輝かせている。
天音の進学先はここから遠い。海外にいた頃との距離と比べればてんで近い。
あの頃は、どうやっても遠くにありすぎて気持ちばかりが募っていった。出会ってしまったら、それは更に膨らんでいった。
そして直ぐに来る次の別れの先には何が募るのか、知る故などなかった。
天音はそんな奏の気持ちを知ってか知らずか、彼の覚束なさに気付いていた。本当に見えているのかどうかわからなくとも、形は違えど、彼女は彼女なりの方法で奏と向き合ってきた。離れるのが寂しいと思うのは奏だけではない。天音とて寂しさを覚えないはずはなかった。
ノックの音に、少し考え事をしていた天音は腰を掛けていたベッドから立ち上がった。ドアを開けると、微笑んでいる奏が立っていた。彼の表情は少しだけ、今まで見たことあるものとは違って見えた。
「変な奏」
天音は奏が言葉を発する前にそんな風に言った。
「姉さんほどじゃない」
「失礼ね」
「姉さんが変じゃない時なんてないからね」
天音は奏のそんな物言いに、一度むっとした表情を浮かべてから、彼を自室に招き入れた。手を引いてベッドまで連れていき、無理やり座らせると、自分もその隣に腰を下ろした。
これからは奏が苦しくなっても直ぐに取ってあげられない。そう思うと自然と彼の髪に天音の手が伸びていた。梳くように撫でた天音のその手が離れると、奏はごろりと仰向けにベッドの上に倒れ込んだ。
「奏」
天音は出来る限りの優しい声で彼の名前を呼んだつもりだったが、「なに?」と返ってきた奏の声は素っ気なかった。
「苦しい?」
「苦しいよ」
「そう」
天音は奏の苦しみをもっと溶かしてあげるにはどうしたら良いのか、それをずっと考えてきた。苦しくなったら取ってあげるからと言いながら、また苦しみを与えていたのは自分だという自覚がなくもない。
ただ、奏の抱える目には見えない苦しみは少しだけ綺麗でもあった。純朴、純粋、捻くれた奏の中に住うそれらは愛おしい。
寝転がる奏に向き直り見下ろすと、天音は彼の心臓のあたりに手をそっと当てた。
天音の手は温かかった。いつだって温かい。奏はそんなことをぼんやりと思いながら自身の手を彼女の手に重ねた。ぐっと力強く握りそうになり、慌てて力を抜いた。
今、彼は、彼女に、苦しいのを取ってほしいと言うつもりがなかった。ただ、顔を見にきただけだった。いつものように不毛な会話をしにきただけだった。
天音の手の温もりは、それを邪魔した。
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