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食後、一階に戻ると、二人は次の作業に移った。本の修理だ。
返却の際に傷みに気づいたものや、利用者から指摘されたものはすでにカウンター内に引き取ってある。その他、配架されている本の中で傷んでいるものを取ってくるのが詩音の仕事だ。斯人は、いわずもがなカウンターで修理作業をしている。
「わたしにも霊力があったら、こうやって指でなぞるだけで修理できちゃうのかなー……」
破れかけたページの端を触りながら、詩音は唇を尖らせた。祖母は、どこであったかお守り石で有名な神社の巫女だったようだが、詩音自身はそのようなものに縁もゆかりもない。
「もしかして、おばあ様ならできるのかな?」
そんな想像をしながら、ページが傷んだその本をブックトラックに乗せた。もう十分な数を集めたので、いったん斯人の元へ戻ることにする。ブックトラックを押すだけでも、司書になれた気がして、自然と頬が緩んだ。だが、それもカウンターを目にした直後、一瞬で消し飛んだ。
「斯人くん!?」
詩音はブックトラックを置いて駆け出した。斯人は、作業台に体を預けてぐったりと伏していた。意識はなく、微動だにしない。
「お、起きて! 何、どうしちゃったの!?」
カウンター越しに揺すると、斯人は身じろぎした。顔を上げた彼の目はぼんやりしている。
「詩音……?」
「大丈夫!? 気分悪いの!?」
「詩音……あなた、食事に何か盛ったでしょう……意識が朦朧として、たまりません……」
斯人はそう言うと、口に手を当てて小さくあくびした。
「……斯人くん、あれから寝た?」
「寝てませんけど……ああ、なるほど。これは睡魔ですか」
「頼むから、頼むからびっくりさせないでよ!」
今日はひやひやしっぱなしだ。詩音はふらつく斯人をどうにかソファまで連れて行き、そこに寝かせた。もぞもぞと体勢を整えると、彼はすぐに寝息を立て始めた。そつがない仕書の無防備な寝顔を見て、詩音は思わず笑ってしまう。
「毛布とか、ないかな……」
室内は快適な温度で、風邪をひくとも思えないが、このまま放っておくのも無粋だろう。詩音は生活圏である三階へと向かった。
階段を上がると、詩音は視線を巡らせた。見える範囲に、掛け布団になりそうなものはない。大きめのキャビネットに歩み寄り、ここに収納されているだろうかと手を伸ばし――ふと、その上に写真が二枚、写真立てごと伏せられているのを見つけた。ごくりと唾をのむ。得体のしれない書寂館にも侵入するほどの好奇心の強さだ。詩音の中で、興味と背徳感がせめぎあった。手を伸ばすこともできず、かといって視線を逸らすこともできない。膠着状態が続いた。
「――どうされましたか」
突然、背後から声をかけられ、詩音は飛び上がりそうになった。反射的に振り向くと、そこには見たことのない男性が立っていた。
二十歳くらいの青年だ。斯人が成長したらこのようになるのだろうか、美しい顔立ちと白い肌が似通っていた。ただし、髪は純白で、斯人とは正反対。あげく、服装は白と水色を基調とした狩衣だ。斯人以上に人間離れしている。否、彼は人間ではないだろう、と詩音は直感した。
その黄金の瞳に既視感を覚えて、彼女はあっと声を上げた。
「もしかして……ハク?」
「ご明察。この姿では初めまして」
ハクは恭しく礼をした。
「すごい、人間姿にもなれるんだ」
「はい。斯人様の業務補助のほか、外に出られない斯人様に代わって、装転のための図書を借りに行ったりもしますので。もちろん、服装については人目に注意しますが」
「そっか、これまでそうしてたんだね」
「ええ」
ハクは、無愛想とまではいかなくとも表情の乏しい顔でうなずいた。
「それよりも……詩音様はその写真が気になるご様子」
「あ、うん……でも、見てないよ」
「そのほうがよろしいかと。斯人様がなんと仰るかわかりませんので。せっかく親しくなられたのに、そのようなことで仲違いされてはもったいない」
「そ…そうだね。ご忠告ありがとう。あ、そうだ、ハク。今、下で斯人くんがお昼寝しているから、毛布か何かあれば持っていきたいの」
「私が持っていっておきましょう。しばらく起きられないと思いますので、詩音様はどうぞお帰りください」
「そう? んー……わかった。じゃあ、斯人くんによろしくね」
「かしこまりました」
詩音は階下へ下りた。そして、まだ健やかに眠っている斯人を見届けると、彼女は小さく手を振って、書寂館を後にした。
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